役人時代の環境小論
1. 光化学スモッグとHC
- 1982年11月 執筆
- 「現代化学」 '83/1月号
題名どおりの内容で、この頃担当していた仕事について依頼があり、やむなく書いた。当時書いた駄稿で唯一手元に残っているものである。
2. 霧島屋久断章(霧島編)
- 1983年12月 執筆
- 「国立公園」 '84/3月号
国立公園五十周年記念ということで依頼があり、75年前後二年余駐在していたえびの高原時代の思いを綴ったもの。
3. 酸性雨 Acid Rain
- 1987年夏 執筆
- 「三省堂ブックレット」 '87/11月号
水局企画課調査官として酸性雨問題のとりまとめを担当した関係上、わけもわからないのにこんな原稿を書かされた。
4. 瀬戸内海よ永遠に
- 1988年暮 執筆
- 「官界」 '89/2月号
寄稿を依頼され書いたもの。無内容。もっとも筆者の駄文はすべて無内容なのだが。
5. 瀬戸内海計画の総括
- 1989年 執筆
- 「瀬戸内海科学1」 ('89)
わが瀬戸内海環境保全室の認可法人である瀬戸内海環境保全協会の活性化の一手段として機関誌(現・「瀬戸内海」)を発行することになった。その第一号の巻頭論文がこれである。赤字団体であるから稿料など期待できないが、仕方なく書いた。
6. アメリカ帰朝報告
- 1990年5月 執筆
- 「研修団報告書」 ('90/12)
90年5月に2週間北米に行ったのだが、そのときの報告。筆者はそれまで一度も外国に行ったことがなかったし、外国行きの話など逃げ回っていた。英語がまったくしゃべれないからである。幸いなことに環境庁には海外旅費が乏しいせいもあり、それまで行かずにすんでいた。ところが90年夏、「世界閉鎖性海域環境保全国際会議」(通称EMECS)が神戸で開かれることになり、主催の一員である瀬戸内海環境保全協会(わが瀬戸内室の認可法人)がこの機会に産業界や自治体に声をかけて研修旅行をセットしたいといいだした。協会の存在意義をアピ-ルするいい機会であり、OKを出した。或る程度準備が進んだところで、旅費は出すから団長で参加してくれといいだした。相当抵抗したが、ついに行く羽目になってしまったのである。行ったさきはワシントン、チェサピ-ク湾、マイアミ、フロリダ、サンフランシスコ湾、ヨセミテ国立公園であった。
7. チェサピーク湾とサンフランシスコ湾
- 1990年6月 執筆
- 「かんきょう」 '90/8月号
6. で述べた北米研修について書くよう依頼があった。「かんきょう」は環境庁の広報誌。したがって稿料は雀の涙。でもこれだけは部屋の連中に代筆させるわけにはいかない。
8. 水質汚濁の課題と展望
- 1991年5月 執筆
- 「浄化槽」 '91/7月号
この手のものは部下のアルバイトとして下請けに出すのが通例であったがこの時期、小遣い銭にいささか不自由し自分で書いた。
9. 環境ブ-ムに思うこと
- 1992年9月 執筆
- 国環研ニュース巻頭言のボツ原稿
わが国立環境研究所は「国環研ニュ-ス」というのを月刊だか隔月刊だかでだしている。そこの巻頭言の執筆を依頼され書いた原稿。もちろん原稿料なし。ところが編集委員会で評論家的だとしてボツにされ、再度書き直せとのこと。生まれてはじめての屈辱的経験である。悔しいからここにタイトルだけでも載せておく。
10. 環境ブ-ムののちに
- 1992年10月 執筆
- 「国環研ニュース11-4」 ('92/10)
11. 環境基本法時代の環境研究
- 1993年12月 執筆
- 「国環研ニュース12-6」 ('94/2)
12. わが<研究>の記録
- 1995年3月 執筆
- 私家本 のちに改稿し 環境漫才への招待 15. 環境行政ウオッチング「環境行政と環境政治」 へ
13. 日本のPROTECTED AREA 論 (PDF版のみ)
- 1995年3月 執筆
- 私家本 のちに改稿し 環境関連主著 [1] 日本の protected area system の考察 へ
14. オウム事件と<研究>
- 1995年7月 執筆
- 「国環研ニュース14-3」 ('95/8)
15. ハワイ・ミクロネシア保護地域(1-4) (PDF版のみ)
- 1995年7月 執筆
- 「国立公園」 ('95/10-'96/1月号)
16. ハワイの保護地域
- 1995年7月 執筆
- 「道路と自然」 ('95/秋季号)
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