環境漫才への招待

循環社会と環境アセスメントをめぐる断章

H教授― 申し訳ない。書かなきゃ書かなきゃと思いつつ、ついさぼってしまった。読者のみなさん、ごめんなさい。桑畑さん、ごめんなさい。

H教授― 失敬な!

H教授― そうだね。四月の国会で循環社会形成推進基本法など六本の法律が出来、或いは改正された(※)。環境庁は循環元年だっておおはしゃぎしてるね。

※新たに制定されたのは「循環社会形成推進基本法」の他、「建設リサイクル法」(正式名称は「建設工事に係る資材の再資源化等に関する法律」、「食品リサイクル法」(同じく「食品循環資源の再生利用等の促進に関する法律」)、「グリーン購入法」(同じく「国等による循環物品等の調達の推進等に関する法律」)。また従来の再生資源利用促進法が改正され、法律名も「資源の有効な利用の促進に関する法律」となった。他に廃棄物処理法と浄化槽法が改正された。

H教授― そんないっぺんにいろいろ聞かれたって答えられないよ。第一点だけど、じつはぼくも法律をじっくり読んだわけじゃないし、関連して出される政令、省令、通知・通達のたぐいは未整備だから、どう変わるかよくわからないな。基本法についていうと、理念的にはいわゆる三つのRの優先順位(※)を決めたこと、拡大生産者責任の理念を盛り込んだこと、循環資源という概念を持ち込み、廃棄物=非有価物という法制上の固定観念をゆさぶったこと等が目新しいな。実効性という点では、個別法如何ということになるんだけど、建設リサイクル法や食品リサイクル法などの新法も基本的に規制法というより、行政指導に法的根拠を与えるような色彩が強く、そんな目に見える変化はないと思うよ。浄化槽法にしたって、単独処理浄化槽を事実上禁止にしたけど、これだって従前から行政指導で進めてきたことだからね。

※REDUCE(ごみ発生抑制)、REUSE(再使用)、 RECICLE(再生)の順に優先度が高いとした。

H教授― でもそれでいいんだよ。通産省ではクルマのリサイクル法の検討を始めたっていうし、自治体でも産廃に対して独自の課税措置をとるところもでてきた。そういうムードを作っておけば、各省だってその方向の施策に対しては予算もとりやすいし、組織も伸ばしやすいっていうんで、力を入れていくに決まってるんだから、十年もすれば大きく変わってくると思うよ。民間だって、廃棄物を出さない方向での製品作りを始めたところが結構あるしね。これが多分、日本流の構造改革なんだ。環境基本計画だって、いま見直しの作業中だけど、より循環色が強くなると思うよ。まあ、ぼくにいわせるとまだまだ不徹底だけどね。

H教授― はじめっから暴論なんて決めつけるなよ。拡大生産者責任を導入した、三つのRの優先順位を決めたっていうけどまだお経の文句の域をでないね。それに廃棄物処理法はいちど解体して廃棄物の定義から組み立て直さないと、基本法の循環資源概念とのすりあわせはなにか不自然だよね。前者に関していうと、ペットボトルが典型的な例だけど、大体経済的にも合わないし、資源・エネルギーの点でも環境負荷の点でも、無理なリサイクルをしちゃってるよね。しかも、その結果リサイクルができるからっていうことでペットボトルの生産も消費も廃棄物も増えていってるよね。ペットボトルなんて逆流通ルートでの引取、処理の義務づけしちゃえばいいんだ。そうすれば価格が高くなってペットボトル入りの商品は衰退していく。あくまで処理に税金を投入するってのなら、特別の税金をかけりゃいいし、そうすればペットボトルは高くなって、余り買わなくなってしまう。

H教授― そう、循環社会ってバラ色の社会じゃないんだ。まず間違いなく物価は高くなるね。例えば、建築物だって、いまはまとめてガシャッと取り壊して廃棄物にしちゃってるけれど、それを一々解体・分別して再利用するようにすれば、短期的には解体費用が高騰するのは間違いないね。高度成長期以降リユースやリサイクルが経済的に成り立たなくなってきてんだもん、それを無理矢理進めようとすると物価もあがるよ。

H教授― でもねえ、君だって無駄遣いいっぱいしてるじゃないか。いい若い者がピアスなんてしてなんになる。何万円もするブランド物なんて君には似合わないよ。ついでにキャバクラ通いも。青年は荒野を走らなくっちゃあ。

H教授― その話はやめておこう。それよりこのあいだ雪印の事件があったよね。期限切れの製品を再利用したってバッシングにあった。

H教授― だけど循環って視点からみれば再利用の仕方はともかく再利用そのものは評価できる。

H教授― ふだんは循環循環って騒いでいるくせに、そういう観点からの論評はまったくなかったよね。あれで産廃がどっと増えたんだぜ。

H教授― バカな女子学生十人にきらわれるかも知れないが、そのことで一人の理知的で素敵な女子学生に好かれるかも知れないし、その方がぼくはうれしい。第一、ぼくは正論を言ってるだけだよ。循環社会に話を戻すと、一々分別したり修理するより、どんどん欲しいものを買って、何も考えずに、使い捨てする社会の方が快適で楽に決まってるじゃないか。しかもその方が安上がりときてる。でもそれは目に見えないところにツケを押しつけてる社会で、早晩行き詰まるのがはっきりしてきたんだ。循環社会って物価も高いし、いろんな点で面倒くさい社会なんだ。

H教授― でも、君のこどもの世代まで持たないよ。そのツケを払わされるのはその世代なんだ。まあ、君には嫁さんの来手がないだろうから関係ないんだろうけどね。

H教授― 無茶をいうなよ。本論をつづけるよ。

H教授― うるさい。だからこそ生産段階から再利用を考えた製品作りをしたところが、得になるような仕組みを考えなきゃいけないし、製品の長寿命化や修理産業も盛んにさせなければいけないと思うよ。行政は環境負荷の高い商品はすべて拡大生産者責任を適用するか、思い切って高い税金をかけるか、する一方、いわゆる静脈産業(※)のうちリユース、リサイクル関連事業には非課税にするとかすれば、ごみ問題は相当部分解決すると思うよ。社会の仕組みを川上から変えて行かなきゃいけないんだけど、それには規制だけじゃなくて税制を抜本的に変えていかなければいけないね。多分クルマのグリーン税制化は一、二年のうちには実現するんじゃないかな。炭素税にしたってそうだよ、思い切って課税することで、はじめて社会は変わっていく。エネルギー多消費型産業にとってはつらいだろうがね。

※製品が一旦ユーザーに届くところまでを動脈、そのユーザーのところで不要になったところから先を静脈に例えたいいかた。廃棄物回収・処理業、解体業、再生業、古物商、修理業などをいう。

H教授― やれやれ君までがそんなまやかしの論理に踊らされてるのか。大体どこが不況なんだよ。この夏の海外旅行者は去年より多いというし、ブランド物は巷に氾濫してるし、まだまだリッチじゃないか。一人あたりGNPやGDPが半分になったところで、縄文時代に帰るわけじゃない。ニュージーランドとかイタリアとかがその程度だよ。いまの日本が分不相応に贅沢すぎるんだよ。

H教授― 君はもっと勉強しなけりゃ例え好況だって就職できないよ。現在の労働者については、組合ががんばってワークシェア(※)すればいいんだよ。万国の労働者、団結せよ、乏しきを憂えず均しからざるを憂う、だ。経営を公開し、給料を下げるかわりに勤務時間も短くして、のんびり金のかからない余暇を楽しむ、それでいいじゃないか。

※首切りのかわりに賃下げと労働時間短縮を行うこと

H教授― そりゃそうさ、ぼくだっていやだよ。決まってるじゃないか。いざというときの心構えの話さ。

H教授― 単位をやらないぞ。話を本筋に戻そうか。もうひとつ大きな変化は石原ショックだね。

―あたりまえだ、だれが石原真理子、いやいまは石原真理絵か、の話をしてるか。

H教授― もういい。かれは国政では相手にされず凋落した。その永田町、霞ヶ関での恨みを新宿(都庁)で晴らそうとして、やつぎばやに国にケンカを吹っかけた。銀行の外形標準課税導入、デイーゼル車排ガス除去装置設置義務づけ、ロードプライシング(※)の導入検討…

※特定地域や道路へのクルマの乗り入れにカネをとること。シンガポールなどで導入されている。

H教授― それは死んだ兄貴の世代。髪は白いけどぼくはまだ若いんだぜ。恋愛だってやる気満々だし。まあ、それはいい。慎太郎の話に戻るけど、人間としては最低だと思ってるよ。ぼくは環境庁時代に仕えたことがあるからね。けど、私怨を晴らすべく、お上に真っ向から楯突いたおかげで、都民はスカッとしたし、しかも結果的には政府の方がそれに不承不承追随する動きも見せてきた。なんせ交付税不交付団体だから好きなこといえるんだ。でもそれで地方にも元気がでたことは事実だね。宮城、三重、高知などは以前からそういう傾向があったけど、国の神経を逆なでするような政策を打ち出す県が増えてきた。いずれもっと多くの県でそうなっていくんじゃないかな。ま、鹿児島はどうかわからないけど。

H教授― 結果的には一点突破、全面展開の口火を切ったということさ。青島やノックが竜頭蛇尾というか、惨憺たる結果に終わったのに較べると大違いだ。でもファシストみたいなところがあるから、もっとこわいけどね。で、そのあとが総選挙。石原ショックも手伝って都市部で自民党は惨敗した。

H教授― おおありだよ。中海干拓の中止だとか吉野川第十可動堰の白紙勧告とかいわゆる大型公共事業の見直しを打ち出してきた。これは画期的なことになる可能性がある。諫早干拓や長良川河口堰のような決着済みと思われたものまで影響する恐れがあると思うね。

H教授― 純朴な人間ならもっと目上には言葉遣いに気をつけるよ。しょうがない、説明してやるか。政府与党は景気対策と称してどんどん赤字国債を発行してゼネコンと結託した公共事業をやってきた。都会の住民は自分たちの税金がそういう形で地方に使われることに抵抗感がでてきたうえ、借金をどんどん増やしていく自分たちの政府の将来に不安を感じたんだと思う。そのために地元でも反対派が多く、新聞等でもよく知られた象徴的な公共事業について見直しというのを打ち出したんだと思うな。

H教授― 君もなかなかいうねえ。ITなんてまだ海のものとも山のものとも分からないし、相変わらず整備新幹線なんてまだいってるから、そこまではいってないと思うな。

H教授― まじめに聞けよ。まあ確かに主導してるのが亀井だっていうから、うさんくさいけどね。ただ重要なのは、かなりの住民が反対し、マスコミでもそれが大きく取り上げられるような公共事業はもはやムリ押しが効かなくなってきたということだと思う。

H教授― そう、よく知ってるね。その流れが一気に加速してきた。君がいま挙げた例はすべて国際的なNGOが反対してきた例だよね、なんせ日本は外圧に弱いから。でも、いまやそれにとどまらなくなってきたんだと思うよ。アセス法が予期せぬ効果を見せるかもしれない。

H教授― アセスメントがアワスメントだと言われてきたのを知ってるよね。

H教授― なんだそりゃ。

H教授― (相手にせず)閣議アセスからアセス法アセスになって大きく変わった点がいくつかある。それは計画の早期の時点で、事業計画が公開され、一般市民が意見が述べられるようになったこと、そして環境基準をクリアしてるかどうかだけでなく、環境影響を最小限にするための最善の努力、いわゆるミテイゲーションをしたかどうかという視点を評価に取り入れたこと、さらに生物多様性(※)の確保、住民との触れあいという観点からも評価するようになったことが挙げられる。

※わかったようでわからない概念。生態系の多様性、種の多様性、遺伝的多様性の三つのレベルで保全が必要だといわれてるが、この三つの関係はひょっとしてトレードオフ、あちら立てればこちらが立たずになりそうな気もする。

H教授― 大体貴重な動植物や自然なんて、わざわざアセス調査するまでもなくわかってることが多いから、そういう場所はふつう外して計画する。でも貴重な自然でなくても、住民との触れあいということになれば、いわゆる里山なんかも評価の対象になる。

H教授― (相手にしない)もっと効いたのは生物多様性の評価で、その一つとして上位性という考えを環境庁が示したこと。つまり食物連鎖の頂点にいる動物が重要になった。

H教授― 猛禽類は既存調査で唯一よく分かってない奴なんだ。アセス調査ではじめてワシ、タカの営巣が確認されたりしたら、事業者にとってピンチになるし、反対派にとっては絶好の攻撃材料になる。愛知万博もそれが効いた。ダメ押しは国際博覧会協会のクレームだったけど。

H教授― そんなことはないよ。アセスに金をかけたり、アセス対応でミテイゲーションすることは或る意味では生き残り作戦でもある。

H教授― ミテイゲーション、つまり環境影響緩和措置にもいろいろある。環境影響をゼロにするのは計画を断念することが考えられる。でもふつうは断念などするわけないから、いろいろカネをかけてマイナスの影響を小さくしようとするし、極端な場合はこわした自然と同量同質のものを別の場所に造成することだってある。

H教授― もっと品のいい例えを思いつかないのか! 例えば干潟を埋め立てをする場合には、埋め立てた前面か近くに同じだけの干潟を造成することなんてよくやられてるよ。藤前干潟だってそうしようとしたんだから。人工海浜なんかもそうだ。これを代償ミテイゲーションという。いろんなやりかたがあるけどね。

H教授― (無視して)役所と役人が一番困るのは、仕事がなくなって予算と組織が小さくなることだよ。もうあらかた必要な事業を終えたら、ムリにでも理屈をこねて仕事を作って予算を確保し組織を維持拡大しようとする。そうすれば土建屋も喜ぶし、しかもそれで地域が一見うるおう。最近の公共事業って大半そうだよ。道路が必要じゃなくって道路事業が必要なんだ。だからミテイゲーションで事業ができるなら大助かりという面だってあるんじゃないかな。

H教授― さして必要とも思えない新しい公共事業とそのミテイゲーションの費用はだれが払うの?

H教授― (聞いてない)もはや六百兆円を越す借金を未来の世代にしてるんだよ。

H教授― ちがうよ。アセスは基本的に環境にもっとも配慮された空港だとか道路だとか港湾を作るためのツールにしか過ぎないし、空港や道路、港湾の必要性や効果、コストパフォーマンスまで問うものではないよ。でも、開かれた政策決定システムが不在だから、反対派・批判派はアセスをそういう場の代替として使いかねないということさ。だからこそ、環境庁はしきりに戦略的環境アセス(SEA)ということを言っていて、八月にその報告書を発表した。

H教授― 個々の事業計画に先立つ、政策や計画についての環境アセスメントのことだよ。例えば高速道路については個々の路線が決定してからでなく、もっと漠然とした全国高速道路網計画立案の時点でアセスを行うことをいう。その戦略的アセスを政策決定システムと統合させようというのが環境庁の狙いみたいだね。ただ、問題は政策決定システム自体の公開性透明性が未だ欠けているということ、そして財源の問題だね。多くの公共事業は国の補助金で地方自治体が事業主体になっている。だから国から補助金を取ってきて新しい公共事業をやるのが首長の腕みたいに思われてるんだけど、それじゃ、地方の時代なんて絶対こないね。税制を変えて大半は地方税にしなくっちゃダメだよ(※)。そうすれば収入の範囲で支出を考えるって健全な姿になるよ。そうしないといつまで経っても、オール与党で、ろくに議論もせず、ひたすら国頼みになってしまう。大体民主党だって社民党だって地元は神戸空港推進派だったし、反対する市民だって選挙になれば、また別ってケースを腐るほど見てきてるから、まだまだ夜明けは遠いよ。 ※大雑把に言うと税収は国が2で地方が1.実際使うのは国が1で地方が2。国から地方にその分補助金、交付金が流れていて、地方をいままで支配してきた。

H教授― お、君もいいこというようになったねえ。でもねえ、少々貧しくたって豊かな自然と暖かい共同体に育まれたのんびりした暮らしの方がほんとうはリッチかも知れないよ。それに水源税だとか通過税だとか、都会からカネを環流させる知恵をみんなで絞るということだってあるんじゃないかな。

H教授― とりあえず名刺屋が儲かることだけはまちがいないね。あとの点はまた次号あたりで考えてみよう。

H教授― ほんとうは清楚で理知的な女子学生の方がいいんだけどなあ。

(二〇〇〇年八月十五日)