環境漫才への招待

共生社会と環境倫理

―センセイ、なにか浮かない顔してますねえ。

―あ、きみか。いやあ、ポンの儚い一生を悼んでたんだ。

―ポン? なんですか、それ。

―小狸。オスかメスかもわからないんで、ポン太ともポン子ともいえないから、ポン。この二月間、裏の竹薮から毎晩我が家の庭に餌をねだりに来てたんだけど、それが一昨日クルマに撥ねられて死んじゃったんだ。貧相で発育不良で、いつも怯えながら餌を漁っていたのを思い出すと不憫でねえ(涙)。

―センセイ、世界には餓死していくこどもたちがいっぱいいるんですよ、タヌキのことよりそっちを考えてください。

―きみだって、難民のことを尻目に、ブランド漁りしてるじゃないか。オトコ漁りのほうはしらないけど。

―ほっといてください! わたしたち、就職活動がうまくいかず、悩んでるんですよ! そんなわたしたちよりより、タヌキのほうが大事なんですか!

―あたりまえじゃないか!(一喝)

―(すこし怯むが、気を取り直して)野生動物を餌付けしちゃいけないと授業で言ったのはセンセイですよ。大体その餌はどうしたんですか

―もちろん動物性の残飯だよ。いわば生きた生ごみ処理機だったんだ。

―生ごみのリサイクルよりも、生ごみを出さないほうが大事だとも言ってましたよねえ。残飯を出すような生活のありかたそのものを変えなきゃだめだって。

―そんなこと言ったって、やっぱり可哀想じゃないか。とても小さくて痩せていて、毛並みも悪く、おどおどしたタヌキだったんだよ。ま、たしかにきみの言うとおりかもしれないけど、そんな矛盾や自己撞着を抱えつつ生きるのが、ヒトのヒトたる所以なんだ。さ、ぼちぼち環境行政ウオッチングと行こうか。

―そうやって都合が悪くなるとすぐ逃げるんだから・・・ ま、いいか、センセイも落ち込んでることだし。でもセンセイにはまだミオちゃんがいるじゃないですか。

―そりゃあ、ミオになにかあればもっとショックだろうけど、それでもネコはネコで、タヌキの代わりにならない。

―ハイハイ、一所懸命ネコでもタヌキでも可愛がってやってください。でもヒトのメスだけは手出ししちゃダメですよ。出そうたって、相手にされるわけないですけどね。あ、それ以上近づいちゃダメ! ダメだって、キャー

―バカ、でっかい蚊がいたから叩こうとしただけじゃないか。だれがきみなんかに。

―へん、悪かったですねえ。

―(独り言)それにしても、蚊を叩くのに良心の呵責は感じないけど、ホタルを殺すなんてとてもできないよな。その癖、他人が殺した牛や豚の肉を食べるのはまったく抵抗がない。それほど親しくない人間の死よりもタヌキの死を悲しむのは、自分との関わりの濃淡の差なのだろうか。命の重さは平等だなんてやっぱりおかしいな・・・

―センセイ、ほらしっかりして。動物といえば、なんかクジラで揉めてたみたいですねえ。

―(気を取り直し)うん、IWC、国際捕鯨委員会の総会が日本で開かれた。絶滅の恐れはなくなったとして、商業捕鯨再開を求める日本などの要求が、またもや米国を中心とする勢力に否決された。そのシッペ返しで、イヌイットなどに認められていた生存のための原住民捕鯨枠の延長までも否決しちゃった。この問題はきみなんかどう思う? 世論調査では、日本でも商業捕鯨賛成派よりも反対派のほうがやや上回ったらしいけど。

―よくわかんない。ワタシ、クジラなんて食べたことないもの。

―人為による動植物の種の絶滅はなんとしても避けなくちゃいけない、というのはわかるよね。クジラについてはかつて捕鯨のため頭数が減り、絶滅に瀕しているというキャンペーンが盛んになされた。でもその背景にはあんな可愛い、高い知能を持った動物を殺すのは可哀想という欧米の情緒的な世論があったんだ。一部の種類を除いては絶滅に瀕していない、というのが大多数の科学者の意見だったらしいんだけど、衆寡敵せずで、商業捕鯨は中止、以降は細々と調査捕鯨という形で実施されるだけで、その結果鯨肉はいまや貴重品になってしまった。昔は牛や豚よりも安く、給食でよく食べたんだけどねえ。でも調査捕鯨のデータなどが集積し、もはや絶滅に瀕するどころか、増加傾向にあることは科学的にはだれも否めないところまで来てしまい、IWCがどうするか注目を浴びたんだ。

―でもやっぱりクジラやイルカを殺すのは残酷だなあ。

―きみはマグロや牛や豚は食べないの? ぼくは昔、養豚場を見学したことがあるけど、ほんと子豚って可愛いんだぜ。それをわれわれは食っちゃうんだ。それとクジラとどう違う?

―やはり食文化のちがいなんですかねえ。韓国のイヌ食も欧米に非難されてますよねえ。

―だけど、クジラの捕獲や利用は欧米のほうがもっとえげつない歴史を持ってるんだよ。

―え、そうなんですか?

―日本では昔は取ったクジラは食べるだけでなく、余すところなく利用し尽くした。大体日本では明治になるまで、人為のため絶滅した動物なんてなにひとつ知られていないんだよ。欧米では鯨油を取るだけのために乱獲した歴史があるし、太古の昔から絶滅させた動物は枚挙にいとまない。だから珍妙な陰謀論がでてきた。

―え? なんですか。その珍妙な陰謀論って。

―梅崎っていう人の書いた「動物保護運動の虚像―その源流と真の狙いー」(成山堂書店)だよ。去年、二訂版が出たんだけど、C・W・ニコルが推薦しているよ。これによるとね、欧米のエスタブリッシュメントは、「地球を自分たちが支配できる規模に保つために、有色人国家の経済と人口の成長を、できるだけゼロに近づける戦略を持っている。その一環として環境・動物保護運動を起こしている」そうだ。そのためローマクラブに「成長の限界」などを書かせて、正当化を図ったんだが、その先兵がグリーンピースなどの捕鯨反対運動だっていうんだ。クジラは愛らしい知能の高い動物だ、というキャンペーンで世論を誘導したというんだよね。まあ、それなりに筋は通っていて面白いけど。

―センセイはそれを信じているんですか?

―まさか。だったらブッシュの反環境路線なんてでてくるわけないじゃないか。

―で、結局センセイは商業捕鯨再開に賛成なんですか?

―賛成は賛成だけど、それほど積極的じゃないなあ。絶滅に瀕しているわけじゃないから、他の動物と同じで、取ったっていいとは思うよ。でもイヌイットはともかくとして、われわれはクジラは食べたいけど、別に食べなくても生きていけるし、ちょっと可哀想かなあっていう気もしないわけじゃない。それに、商業捕鯨を再開しようと思っても、もう設備を廃棄しちゃってるから、本格的な再開は無理じゃないかと思うよ。

―なんか歯切れが悪いですねえ。

―うん、ほんとのこというと、人間はいずれにしても他の動植物を食べないと生きていけないんだよね。それは生物としての宿命だ。一方、人間はスポーツとしての狩猟だとか釣りを楽しんだり、戦争で大量虐殺を引き起こしたり、他の生物には考えられない、生存とは無関係に残酷なことをする。そのくせ、愛情だとか哀れみだとか悲しみだとか、生物に不要なまでの過剰な感情も持ってしまった。これはおおきな矛盾だね。この矛盾を解消するために、<動物の権利訴訟>だとか、<動物の解放>だとか、デイープエコロジーだとか、さまざまな環境倫理論が提唱されているんだけど、やはり人間と自然を二項対立させてしまう欧米の思想の文脈じゃムリだね。万物に神が宿るとし、無用な殺生を慎む一方、やむをえず殺生するときは感謝と崇拝の念を抱くという、東洋的というか、アニミズム的というか、昔のアイヌ的な感覚の復権が必要なんだろうと思うよ。

―センセイはそんなことを考えながら肉を食べたり、蚊を叩いたりしてるんですか?

―まさか。でもねえ、ちょっとそんなセンチな気分になっちゃうこともなきにしもあらずだ。ヒトと自然との共生、ヒトと動物との共生とかいうのを具体的にイメージするとき、理性で考えた答えはしばしば感性と衝突する。このヒト特有の過剰な感情をどう扱うかが、むつかしいねえ。ポンの死のほうが、知識でしか知らないアフリカ難民の餓死より、ぼくの心には切実だもんなあ。ところで例の瀋陽の亡命事件はどう思った? あれはヒトとヒトとの共生の話だ。

―ワタシ、あのビデオ見てアッタマ来ちゃった。ほんと、日本の外務省っていうか、外交官って腐ってますよね。それに中国もひどいわ。堂々と総領事館に侵入して、居直ってるんだもん。

―そうかなあ、あの件の初期対応に関しては、総領事館も中国も責められることはないんじゃないかな。

―なんですって!

―総領事館に駆け込もうとした5人は韓国に行っちゃったけど、もし無事に駆け込めて日本に亡命を求めたとしたら、どうするの?

―当然、認めてあげるべきです。あったりまえじゃないですか。

―うん、ヒトとヒトとの共生ということを考えると当然だよね。でもねえ、世界中の領事館や大使館に毎日毎日何百人と駆け込んできたらどうするの? 前例があれば断れないぜ。日本語も話せない、文化も習慣もちがう難民が何百万人も日本に来たらどうするの?

―うーん。それは困るなあ。

―だから、難民は極力受け入れないというのが日本の考え方、つまり国益なんだ。外交官の職務は国益に忠実であるべきだっていうことだよね。だから、この場合は中国側が完全に門外でシャットアウトしてくれるのがベストなんだけど、それが破られちゃった。だとしたら、少々オーバーランして領事館内に立ち入っても、不審者を連れ出してくれるのがベターだということになる。

―じゃ、センセイは、領事館側が侵入に同意し謝意を表明した、という中国の言い分のほうが正しいというのですか?

―公然と同意し、謝意を表したかどうかはわからないけど、最低限、暗黙のうちに同意、追認したのは確かだと思うよ、極力難民を受け入れないというのが日本の国是なんだから。事実、あのビデオさえなければ、そうなってたと思うよ。

―じゃ、間違っていたのは?

―ビデオで放映されるや否や、人道的観点なんて言い出し、急にあたふたしだした政府や政治家のほうだと思うよ。難民条約にも加入しておきながら、「国益」と称してできるだけ難民をシャットアウトしてきた。そしてそういう政府や政治家を支えてきたのが国民なんだ。きみはどう思う?

―うーん、わからなくなっちゃった。

―ほら、そうやってすぐ逃げる。

―じゃセンセイはどう思うんですか?

―二つの選択しかないと思う。ひとつは従来どおり難民・亡命や移民は実質的に受け入れない、その代わりに難民を出さないよう目一杯ODAやなんかでカネを出すという選択。もうひとつは社会的な混乱やさまざまなリスクが増えるのを覚悟で段階的にではあっても門戸を開放するということだね。

―リスクって? 

―犯罪や失業は激増、治安は悪化するのは間違いないね。宗教上や生活習慣のちがいで各地で衝突も増えるだろう。言語や職業の訓練、生活支援のためのカネも半端じゃないだろう。

―じゃ、前者?

―数年前までは日本は世界一のODA大国だったけど、不景気と財政赤字のため、ODA予算のカットまで始めちゃったんだぜ。そりゃあムネオの件をみてもわかるとおり、ODAの仕組みにおかしいことがいっぱいあるのは事実で、根本から直さなければいけないけど、前者を選択するなら、われわれの身を大きく削ってでも援助予算はいまの数倍から数十倍出す必要はあるね。

―それで問題は解決します?

―そうしても二、三十年先はどうなるかわからない。環境難民ってコトバ知ってる?

―かすかに聞いたことあるような、ないような・・・

―まったく何のゼミを専攻してるんだい。地球環境の悪化で人類が滅ぶなんてよく言うだろう?

―ええ。温暖化とか酸性雨とかダイオキシンで人類が滅びてしまうかも知れないんでしょう?

―でもねえ、環境が汚染して人類がばったばったと死んでいくということにならないと思うな。環境の悪化や汚染はあくまで単なる引き金。それで凶作が起きたりして食糧危機が発生。そうなると、難破船からネズミが逃げ出すように、大量の難民が生まれて国境を越えようとする。それに民族問題やなんやかもからんで、内乱や紛争が起きてそれが全世界的に拡大というシナリオがいちばん考えられるんじゃないかな。そうなったら島国だからといって容赦ないね。小船に乗った大量のボートピープルが毎日何千人と来ることになりかねない。

―おっそろしい・・・

―有事法制たって、まず考えなきゃいけないのは大地震だとかボートピープルへの対応だと思うよ。結論だけいうと、早い段階からリスク覚悟で、秩序だって難民・移民を受け入れることを考えるべきだろうな。そして同時にこれ以上の経済大国を目指さず、つまり難民にとって魅力的なクニを目指さず、循環型の第一次産業の復権を図り、経済的には豊かじゃないけど、いろんな民族や人種がなかよく平和にひっそり暮らすような、新・日本人をこれから何百年かかけて作っていくこと。大体日本人って単一民族だなんて思うからおかしい。そうなったのはせいぜいこのかた百年だ。縄文から弥生の過程でいろんな民族・人種が混血していったんだし、明治になるまでアイヌ、沖縄だけでなく、「海の民」と「山の民」、上方と関東はそれぞれのコトバと文化を持った別の民族だったんだから、なんとかなるさ。

―随分楽観的なんですね。

―だって、そうなった頃はミオだけじゃなくぼくもいないからな、ハッハッハ。ヒトとヒトとの共生ったって、実際はたいへんだということがわかったろう。あ、そうそう、ひとつだけ難民受け入れの条件がある。どんな色の人間だろうと、日本語を話せること。そのため、世界各国に日本語学校をどんなカネがかかってもいいから普及させること。

―あーあ、またセンセイの英語コンプレックスがでた。さ、もうその辺でいいでしょう。環境行政ウオッチングに行きましょう。でないと、桑畑さんに叱られちゃいますよ。

―そうか、じゃ、まず今国会に環境省が提出した法案が五本だけど、大体片付いたね。土壌汚染対策法に自然公園法改正、鳥獣保護法改正、温暖化防止法改正はみな上がっちゃったし、クルマリサイクル法も本誌が発行される頃には上がってるはずだ。でも、前号、前々号あたりで一応みんなコメントしたから、いいよね。

―えー、そうだったですかねえ。たしか鳥獣保護法の話なんて、ひらがなに変わったとしか聞いてないけど。

―いいじゃないか。細かいことはいいっこなし。それから温暖化防止法に連動するんだけど、京都議定書の批准が国会で承認された。ほとんど同時にEUもそうしたから、あと発効するにはロシアの批准だけでOKだ。夏のヨハネスブルグサミットには間に合わないし、ロシアはより高く売りつけようとして、ごねるかも知れないけど、まあ、これでアメリカ抜きでの発効が九割方決まったんだろうなあ。日本政府も産業界もほんとうに発効したほうがいいと思ってるかどうか疑問だけど、これも時の勢いというものかも知れない。あと五年もして、日本だけが九〇年比△6%を守れないなんてなると世界の恥になるから、炭素税だって導入せざるをえないことになるんじゃないかなあ。

―でも、新聞はそんなことよりワールドカップ一色ですね、あとは国会。有事法制だの、個人情報保護法だの郵政民間参入だのって問題山積みですもんね。

―(吐き捨てるように)コイズミってのは価値紊乱者としての存在意義ぐらいはあるかと思ったけど、なんのビジョンも戦略も持たない、ただ目立ちたいだけの史上サイテイの軽薄な宰相だね。まだ野中だとか亀井のような守旧派、いわゆる抵抗勢力のほうがそれなりに筋が通っている。議論の余地無し。この話はこれで終り!

―へえ、なんだか興奮してますねえ。触らぬ神に祟りなしっと。ねえ、センセイ、それよりワタシ気になる記事があったんですけど。

―どんな? キムタクが痔で入院したこと?

―キャー、ウッソオ!

―冗談、冗談

―もう、センセイのばか! で、五月二〇日付けの朝日なんだけど、自動車NOX・PM(粒子状物質)法の規制強化で、「デイーゼル車は乗用車も、数年以内に車検を通せなくなります。ですがデイーゼル車を廃車にして買い替える別の車の製造過程でもエネルギーが費やされ、温室効果ガスも発生します。そうした、新たに生じる環境への負荷を差し引いてなお意義ある規制かどうか検証した規制なんでしょうか。ものは大事に使えと、教わったので、まだ使えるものが強制的にスクラップされることに抵抗があります」という記事があったのよね。

―きみ、きみ敬語を使いたまえ。

―だって尊敬できないんだもの(笑)、ウソウソ、怒んないでよ。ね、センセイ!

―あーあ、あの××くんが懐かしくなるよ。ま、でもそれはいい質問だね。

―で、環境省自動車環境対策課の答えがね「環境への負荷を数字ではじきだし、比べることはしていません。環境基準の達成は、従来の対策で困難ならば、より厳しい規制を設けるしかありません」だって。 なんかおかしくない? いや、おかしくありません?

―(苦笑して)ま、担当課としては、そういう木で鼻をくくったような、すれちがいの答えしかだせないんだろうなあ。よくわかるよ。

―どういうことですか、もっとちゃんと説明してください!

―LCAって知ってる?

―センセイ、まえに試験で出したじゃないですか。Los Angels in California of America って書いちゃった。名答でしょう。

―バカ。ライフサイクルアセスメントって言うんだけど、製品なんかの誕生から死までの生涯を通じてのトータルな環境負荷を評価する手法のことで、環境省も盛んにその必要性を力説してるんだけど、その質問はまさにLCAをきちんとしたのかと問うてるに等しいね。

―その環境省がしてないってどういうことなんですか?

―できないんだよ。例えばNOXとPMを目標まで減らす二つの手段があったとしたら、その二つのどちらを取るかは本来コストではなく、それこそエネルギーの消費だとか、温室効果ガスだとかのその他の環境負荷の小さいほうをとることがいいよね。この場合はLCAは可能だし必要だ。でも、NOXやPMを減らすことと温暖化対策とごみの減量の三つでどれがいちばん重要かってどうやって判断するの? さっきの質問に数字で答えることは可能だよ。でも、数字ったって「NOXとPMを規制することはリンゴ三個を得ることに相当します。新たな規制により生じる環境負荷はバナナ二本を捨てることに相当します」というようなことになる。いや、それだったら金額で換算できるから比較できるな、義理が三つと人情二つを比較するようなものだ。

―?

―じゃ、トレードオフって知ってる?

―?

―やれやれ、なんにも知らないんだな。簡単にいえば「あちら立てればこちらが立たず」ってこと。環境にやさしいったっていろいろあるよね。ダイオキシンを減らすのも温暖化を防ぐのもBODを削減するのもみんな重要だし、三つとももっとも効果的に減らせればベストだけど、現実にはそうはいかないし、それどころか、しばしばトレードオフの関係になったりもする。そのとき何をいちばんのターゲットにするかを決めるのは科学ではなく、個々人の、或いは社会全体の価値観だし、自分の置かれている立場によってもちがう。日本のような縦割り社会じゃ、自動車環境対策課の立場からすればそう答えるしかないじゃないか。

―? なんかよくわかんないな。

―だから、将来の実現可能なビジョンを展望した上でないと、LCAの導入はむつかしいということ。もっともこの場合でも評価はできないまでも、質問者が言ったように、新たな規制によるメリットだけでなく、そのためどの程度スクラップが増加し、エネルギーを消費し、温暖化ガスを出すかという試算をして公表することは本来必要なんだと思うよ。ところで将来の実現可能なビジョンに関して環境省が面白い試みをはじめた。先日、平成一四年版の環境白書と循環型社会白書を公表したんだけど、循環白書では、将来の循環型社会像として技術開発推進型、ライフスタイル変革型、環境産業発展型の三つのタイプを提示し、読者の人気投票を行うんだと。ま、肝心の白書をまだ手に入れてなくて、新聞情報だけだから、これ以上のコメントは控えるけど。

―(欠伸しながら)あーあ、面倒臭くなってきた。まだあるんですか。

―そうそう、いよいよ「環境行政学会」が旗上げした。環境庁出身の大学人が二十人にもなったので、大同団結して、環境行政のありかたをみんなで議論しようということになった。将来は社会に発信できればいいなと思ってる。それで先日皆生温泉でみんな集まったんだ。

―この「環境行政ウオッチング」と同じですね。

―え? どういうこと。

―(ニッコリと)だって、今号は「共生社会と環境倫理」というタイトル。毎号毎号タイトルだけは立派だけど、中身はセンセイの与太話。その学会だって、どうせ昔馴染みと飲み会やるための看板でしょう。

―(図星を指されて)う、う、なんということを・・・

―でも、二十人ってすごいじゃないですか。センセイでも勤まるとわかったから、安心して環境庁、現・環境省も人を送り出したんですね。昔、炭鉱では先導役でカナリアに有毒ガスの検知をさせて、大丈夫とわかってから、人間が行ったそうですね。センセイは大学に送られたカナリアだったんだ。そういえばよく囀りますもんね。あ、いけない、もう時間だ。カレが待ってる。センセイそれじゃあねえ、バイバイ!(走り出す)

―(顔を真っ赤にして)お、お、おい、それが教師に対しての言い草か!(と怒鳴るが、もう彼女は去ったあと) ま、いいか。あーあ、ポン、安らかに眠れよ。

(平成一四年六月四日)