環境基準と生物多様性
―センセイ、秋本番ですね。
―うん、勉学の秋だな。キミもちゃんと勉強しなきゃあ、卒業できないぞ。
―わかってます! でも食欲の秋とも言いますから、とにかくおなかが減って(いきなりチョコレートをムシャムシャ)。
―やれやれ、色気より食い気か。また、太るぞ。とりわけキミの場合、肉がむねにつかずに他のところにつきそうだものなあ。
―センセイ、それセクハラ!
―親切な忠告じゃないか。それともぼくの言ったことはウソ?
―う、う(グッと詰まる)。センセイのバカ! そんなこと言ってるヒマがあったら、さっさと「環境行政ウオッチング」に行きましょうよ。ワタシだって忙しいんですから。
―わかった、わかった。でも前号からいろんなことがありすぎたなあ。
―毎回、毎回そんなこと言ってるじゃないですか。狼少年になりますよ。
―だって、雪印や日ハムにつづき、東電の原発データ隠蔽問題の発覚が大問題になった。これでプルサーマルは完全に暗礁に乗り上げたし、政府の目論んでいた温暖化対策も赤信号。コイズミ内閣のデフレ対策・景気対策もさっぱり効を奏さず、内閣改造でマーケット至上主義者の竹中平蔵が前面に出たけど、与党内からだけじゃなく、皮肉なことにそのマーケットからも完全にそっぽを向かれて、株価は下落する一方。対する民主党は旧態依然たる党首選のごたごたで失笑を買った。世界に目を向けると、イラクを巡ってあいかわらずきな臭い匂いがふんぷんとしているんだけど、そんなさなか、もっとも安全と思われていたバリ島でも惨劇が置き、モスクワでも劇場占拠騒ぎが起きた。でも、これ全部をやるわけにはいかないから、どうしようか。あ、そうそう。ほのぼのとしたところではタマちゃん騒動、これは野生動物の保護とか環境倫理にからんでくるよねえ。それにノーベル賞騒ぎがあった。とくにあの田中さんてのは一服の清涼剤だね。ぺいぺいの中年サラリーマンで、学位も持たない人がノーベル賞。おどおどしてる姿がよかったねえ。役員昇格を荷が重過ぎると断ったり、特別報奨金が多すぎると尻込みしたり。
―(ニコッと)ほんとですね。何の論文も書かずというか、書けずというか、書く意欲も能力もないどっかの大学の先生とおおきな違いですよねえ。
―(ムッとして)これでまたキミの卒業は遠のいたな。
―え? 別にセンセイのことじゃないですよ。それともなんか身に覚えがあるんですか?
―う、うるさい。それからカーター元大統領にもノーベル平和賞がいった。明らかにブッシュへのあてつけだね。ちょっとノーベル賞委員会を見直したよ。ヨハネサミットは後回しにするとして、ま、そんなとこかな。
―センセイ、センセイ。相変わらずインデックスマンですね。それに、北朝鮮の問題にまったく触れてないじゃないですか。
―あ、気付いたか。
―あたりまえですよ。日夜あれだけ報道しているんですから。
―あの問題はどう転ぶかわからない。アメリカの動向もよくわからないところがあるし、これが掲載される頃にはがらっと情勢が一変してるかもしれない。それに、拉致問題とか核開発問題なんてのは、へんに日本人のセンチメントに触れるから、あまり取り上げたくないな。
―ずるーい。
―ひとつだけ言えるのは、金「王朝」の終りがタイムテーブルに乗ったことだよね。でもねえ、いつどんな終わり方するかが見えてこない。メデイアも与野党の大半も北朝鮮けしからん、国交回復だとか経済援助どころの話じゃないって大合唱だよね。でもこれに関してはぼくはコイズミと外務省を支持する。少なくとも、いまのところ世論調査では大方の国民はそういった雑音にまどわされずに、交渉開始を支持してるみたいだ。日本人てのは、まだバランス感覚を失してはいないって感じだよ。でも、このまま大合唱がつづくとそれも危ないかもなあ。これが掲載される頃にはころっとひっくり返ってるかもしれない。
―ということはセンセイも国交回復すべきだって意見ですか。だって交渉相手はあんなひどいことしてて、おまけに崩壊するかも知れないんでしょう?
―確かにひどいことをしたよ。家族の気持ちもわかる。でもね、それを自ら認めたじゃないか。ま、それだけ追い詰められているんだろうけどね。南京大虐殺はなかったなんて未だに嘯いている輩よりはマシだよ。日本がかつて半島にしたことを考えると、責めるだけで、国交回復交渉を打ち切ったんじゃ問題解決にならないよ。それともうひとつ、高度経済成長の前夜のことだけど、何万人もの在日の人たちが北朝鮮を夢の国と信じて帰還した。ぼくの知り合いも行ったよ。そのこと自体に日本に非はなかったんだけど、そのご、かれらの多くは粛清、投獄、餓死といった言い尽くせない悲惨な目にあったらしい。でも日本政府やメデイアは薄々は知っていながら、まったく知らぬ顔をして問題にしなかった。もちろん、悪いのは北朝鮮だけど、傍観していた日本や日本人にも責任はないとはいえない。日本人のことだけ大騒ぎするのはレイシズムの第一歩だと思うよ。それに、金王朝が崩壊するにしても、できるだけソフトランデイングしてくれないと、大変なことになる。
―どうしてですか?
―最悪の事態は、やけくそで暴発すること。たとえば韓国に攻め込むとかね。でもそれはアメリカが侵略しない限りはないだろう。逆に言えば、あの最低最悪のブッシュが血迷えばとんでもないことになりかねない。ま、一番こわいのは飢饉かなにかがきっかけで暴動が起こり、金王朝が崩壊、一気に無政府状態が出現することだよね。そうなると韓国が併合せざるをえなくなるし、ものすごい数の難民が韓国のみならず日本にも押し寄せてくる。人道的にもそうなると拒めないし、大混乱が生じる。
―でも、少々混乱があったとしても、そうなると南北が統一されて、民族の悲願が叶うんじゃないですか。
―もう十年以上前だけど、東西ドイツが併合した、というより西ドイツに統合された。
―知ってる、知ってる。ベルリンの壁の崩壊でしょう。
―或る意味では悲願が達成されたんだけど、西も東も痛みを味わい、いまもなお続いている。旧西ドイツは稼いだカネが東にばっかり流れると不満をいい、旧東ドイツは自由で豊かな生活を楽しめると思ったのに、西との格差は一向に縮まらず、貧富の差は開く一方、得られたのは失業と貧困の自由だけだとこちらも不満たらたららしい。旧ソ連圏のなかでは際立った最先進国の旧東ドイツですら、そうだったんだから、南北統一が一気になったら、もっとすさまじい状況になるよ。韓国としてもそれがわかっているから、それなりに北朝鮮の経済が立ち直ってくれて、民主化が徐々にでも進み、連邦制など長い長い経過措置を経て統一することを望んでいるんだ。
―そんなこと可能なんですか?
―うーん、神のみぞ知る。むつかしいだろうなあ。でも、そう願うしかないじゃないか。
―じゃ、核開発の問題はどうなんですか。とんでもないことじゃないですか。
―日本人の心情はわかるし、フセインや金正日に核なんか持たせればおっかないという気持ちもわかる。だから、核をもたない国々が非難し制裁を加えるのは当然だよ。でも少なくともアメリカやイギリスが非難したり制裁したりする倫理的な資格は毛頭ないと思うよ。日本だってアメリカの核の傘に入っているんだから、あまり大きなことはいえないんじゃないかな。
―えー、ということはセンセイは仕方がないって言うんですか!
―だれもそんなこと言ってないじゃないか。フセインや金正日に核開発を断念させるためにも、一方的に責めたり制裁を加えるだけじゃなく、返す刀で核保有国を批判し、自らも核の傘の下からの脱却を目指さなきゃいけないって言ってるんだ。
―なんだか現実離れしてるような気もするなあ、ま、いいや、ぼちぼちホンチャンに行きましょう。ヨハネサミットをどう見ます? センセイは前号じゃずいぶん悲観的だったですけど、土壇場でなんとか「実施文書」だとか「政治声明」までこぎつけたじゃないですか。
―うん、そのことだけでも有意義だったって見方もある。でもNGOの評価はボロクソだね。なにひとつ具体的なことは決まらなかったし、南北間の溝も埋まらなかった。とりあえずどうにでも読めるような中身の空疎な声明でお茶を濁しただけだって
―センセイの評価はどうなんですか。
―行ってないからわかんないよ。
―行ったってわかんなかったでしょう。だってセンセイの英語はThank youとNice to meet you だけなんだから。
―そりゃ、ま、そうなんだけど。(一瞬ののち)えーい、キミはいつも一言多いね。でもねえ、あれは完全に玉虫色の決着だね。それまで蜜月関係だった政府とNGOの仲も一気に冷え込んだみたいだし、日本は再生可能エネルギーの数値目標を決めることにアメリカの後押しをして、ついに阻止してしまった。倫理的にEUに完全に遅れをとってしまったというしかないんじゃないかな、情けないねえ。世論全般も十年前のリオ会議と比べて、熱が冷めたなって感じがしたよ。二十一世紀は暗いね。ま、絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに同じってあの魯迅センセイも言ってるから、いまやっているCOP8に一縷の望みを託そう、はっは。
―(小さく)よくそんな暗いことを明るくいえますね。センセイの人格を疑うわ。
―(聞こえないまま)ところで、廃棄物処理法と廃棄物概念の解体的抜本見直しはなくなったみたいだな。期待してたんだけどなあ。やっぱり三十年つづけてきた廃棄物処理法の歴史の重みに負けたというところかな。コイズミの蛮勇は変なほうにばかり行って、こういうところにはまったく発揮されないみたいだね。もっとも、こんな話はそもそもコイズミの耳にも入ってないんだろうな、これが世界に冠たる日本型システムか・・
―もう、なんか少しは実のある話とか夢のある話をしてくださいよ。
―そうだね。いよいよ水質環境基準の見直しが本格化した。環境基準って知ってるよね。
―あったりまえじゃないですか。環境上の望ましい基準で行政の目標とするものでしょう。英語で言えば Environmental Quality Standard 。
―お、えらい、えらい。(アタマをなでようとする)
―キャッ、触んないでよ。バカ。
―わかった、わかった。でもねえ、だれの何にとっての望ましい基準なの?
―? みんなが文化的で健康的な生活を送る上ででしょう。
―そう、みんなってのは人間みんなってことだよね。人の健康または生活環境を守る上での望ましい基準ということになっている。だから概念上健康項目と生活環境項目のふたつがある。そしてこれを維持達成することが行政の努力目標になっていて、そのため規制だとかさまざまな手段を講じている。環境基準は、環境中の濃度の話だから、煙突出口や排水口の濃度の規制基準と混同しないようにね。健康項目は全国一律と決まっている。大気には健康項目しかないんだけど、水質では健康項目の他、生活環境項目も決められていて、川の場合だとBOD、海や湖ではCODというのが代表的な指標なんだけど、直接健康に関係するわけじゃないということで何段階かの基準が決まっていて、利水の状況に即して自治体があてはめることになっている。これを「類型あてはめ」って呼んでいる。
―なんだか、下手な講義聴いてるみたい。で、なにが問題なんですか?
―じつは環境基準にはさまざまな問題があって、これだけでも一冊の本が書けるくらいなんだけど、今日の話は、そもそも環境基準は「人の健康または生活環境」を守るためだけでいいのかという大前提にかかる問題だ。
―わかった! 「生物多様性」のことでしょう。
―ピン、ポン! だいぶ勘がよくなったね。九十年頃から生物多様性の保全というのが、国際的なキーワードになった。この概念自体、遺伝的多様性だとか種の多様性だとか生態系の多様性だとかいろんなレベルで言われていて、よくわからないところもあるんだけど、いずれにせよヒトも生態系を構成している一員であり、その生態系を撹乱させるとヒト自体もおかしくなってしまう、他の生物との共生を図らなくちゃいけないということだね。だとしたら、環境基準もそうした生態系保全の観点からもういちど考え直さなければならない。
―へえ、じゃ、コペルニクス的転回じゃん。
―そうは簡単にいかないよ。大体生物多様性の保全なんて、総論賛成、各論反対の世界だもん。科学的なデータなんてないに等しいし、きちんとでてくるかどうかも疑わしい。害虫だとか病原体生物も保全しなきゃいけないのかとかうんざりするような議論も出て収拾がつかなくなるよ。だから、将来的にはそういうことも視野に入れつつ、とりあえず、できるところから地道にやっていこうということだろう。
―というと?
―水質の場合、まずは魚などの水生生物だね。これをターゲットにすれば理解が得やすいだろうということで、淡水域の上下流、海域と三つに分けて、ホルムアルデヒドなどの化学物質、カドミウムなどの重金属の計九個の物質について、水質目標値案を公表した。で、これをもとに魚の棲めるような水質に水域を保全することは、広い意味で人間の生活環境を保全することだという理屈で、生活環境項目に追加しようと考えているみたいだ。
―なんか随分遠回りみたいだけど。
―仕方ないよ。これだって随分抵抗があると思うよ。だって、生活環境項目と言っても、実質的には健康項目の基準強化だもん。
―えー、なんで、なんで
―いままで生活環境項目というのはBOD、COD、SS、DO、大腸菌群数、油分、PH、全窒素、全燐しか決まってなくて、いわゆる化学物質だとか重金属はすべて健康項目だった。そういう意味ではミニ・コペルニクス的転回といっていいんじゃないかな。あとは、そうした個々の物質だけでいいのかっていう問題や、水質だけじゃなく水辺や底質など水環境総体の環境基準も決めなきゃいけないんじゃないかとか、いいだせば切りがないけど、とりあえずはいい着眼点だと思うよ。それに健康項目自体も追加の動きがあるみたいだよ。
―へえ、辛口好きというか、悪口雑言が趣味のセンセイにしては珍しく点が高いじゃないですか。
―うるさい! 水環境部というのは昔の水質保全局でぼくの古巣だ。内情もよく知ってるし、環境庁の省昇格に伴い、局から部に格下げになったから、余計にエールを送りたいってとこはあるけどね。
―ちがうでしょう。悪口を言ったりしたら、自分は現役時代なにをしたんだと逆ねじをくわされるのがオチだと思ったんでしょう。旧悪を暴露されたくなかったから。
―ほんと、キミは素直さに欠けるねえ。ぼくもよく辛抱しているよ。ま、いいや。でも、これからは常時監視がますますたいへんになる。
―情事監視? ヤッダー、出歯亀!
―バカ(苦笑)。環境基準を決めたって、それを維持達成しているかどうか常にチエックしていなけりゃ意味がないだろう? それを常時監視という。途上国でもたいてい立派な環境基準を定めているけど、じつはほとんどの場合紙に書いてあるだけで、ノーチェックバーナーなんだ。
―なんです、それ?
―ま、いいじゃないか。その点、日本は立派で、自治体がきっちりと監視している。環境基準点、たとえば水質だったらなんとか橋の下とか定点をいくつも決めておいて、定期的に採水し、チエックするんだ。項目を増やせばそれだけカネや人手がかかる。一方じゃ、赤字財政でなかなか財政当局は予算の増額を認めてくれないからなあ。
―どうすればいいんですか。
―ろくでもない公共事業をちょこっと削ればなんでもない額なんだから、首長さんにがんばってほしいねえ。ただこういう汚染測定ってのはppmの世界、いまやppb,pptの世界だよねえ。こういうのって素人じゃできないし、数字を聞いてもピンと来ない。だから、それだけじゃなく、それを補完するような、NGOや市民でも簡単に測れる簡易測定、簡易指標の開発も急務だと思うよ。ま、これも言うは易し行うは難しなんだけどね。どうだい、少しは実のある話、夢のある話だったろう。
―ワタシも実のある話も仕入れてきましたよ。中国からの酸性雨が問題になっているでしょう。でもねえ、一方じゃ黄砂も増えてきているんですって。で、あの黄砂が酸性物質を中和してくれているそうですよ。少し、心配のタネが減ったでしょう。
―バカ、黄砂が増えてるってことは砂漠化が進行しているってことだろう? 中国で砂漠化が進行したほうがいいの? エアロゾル、つまり大気汚染物質が大量に増えれば太陽の光を遮るから、温暖化防止になる。だからエアロゾルをどんどん出せってことになるよ。それでいいの? どこが実のある話なんだい。だいたいキミは・・(お説教がはじまる)
―(途端に)あ、いけない。カレが待ってる。じゃあね、センセイ、バイバイ!
(平成一四年十月二十七日)
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―センセイ、毎回これ書いてるけど、まだ意見、感想なんて一通も来ていないんでしょう。書くだけムダなんじゃないんですか。ね、読者のみなさん、可哀想だからだれか一通ぐらい書いてやって!
―まだいたのか。うるさい、帰れ! シッシ!