環境漫才への招待

瀬戸内法30年

―センセイ、イラク情勢は風雲急を告げてますねえ。どうなっちゃんですか?

―そんなことぼくにわかるわけないだろう。でもねえ、救いは国際的な反戦の動きが大きなうねりを見せ始めたことだねえ。ま、あのブッシュがそんなことでめげるようなタマじゃないだろうけどね。いま30年まえを思い出してたとこだよ。

―センセイ、世界が戦争になるかどうかってときに、昔の思い出にひたってたんですか?

―30年前、アメリカは泥沼化し、敗色濃くなったベトナム軍事介入をついに断念、平和協定を結び、地上兵力の撤退をはじめた。腐敗しきった南ベトナム政府は見捨てられ、ついにサイゴンは陥落した。アメリカもこれで理のない戦争の愚を悟ったかと思ったけど、全然なんにも学んでないね。人間ってほんと愚かだと思うよ。

―30年前か、ボクはまだ生まれてませんね。センセイはそのころ環境庁の室長かなんかやってたんでしたっけ?

―バカ、ぼくをいくつだと思ってるんだ。

―カンオケにはまってるんじゃなかったですか。確か、そんなこと言ってましたよ。

―はまってるのはカンオケじゃなくて、カラオケ! そうか、30年と言えば、今年は瀬戸内法30年だ。ぼくのいた瀬戸内海環境保全室、』愛称瀬戸内室も瀬戸内海環境保全基本計画の改定を置き土産に一昨年、環境省誕生とともに閉鎖性海域対策室と名前を変えちゃったしなあ、じゃ、今回は瀬戸内法30年を語るか。キミ、瀬戸内法ってどんな法律だ。

―えーと正式名称は瀬戸内海環境保全特別措置法ですよね。わかった! 瀬戸内海の環境保全のために特別な措置を講じる法律だ。

―だからどういう特別な措置だって聞いているんだ!

―それを教えるためにセンセイがいるんでしょう、ハイ、講義をどうぞ。

―まったく、キミは・・・ 仕方ない、ぼくのゼミに来るのはキミ程度の学生しかいなかったんだもんな。

―類は友を呼ぶだったっけ、同病相憐れむだったっけ、ムカシの人はいいことを言いますねえ。

―(呆れ果てて)もういい黙っててくれ。昭和30年前後は大阪湾にだって至るところに浜や干潟が広がってた。堺の浜寺まで泳ぎに行ったり、地引網のなかで魚を手づかみで採りに言ったのを今でも思い出すよ。

―浜寺って、コンビナートのど真ん中じゃないですか!

―そうそれくらい当時の大阪湾はきれいだったし、魚の宝庫だったんだ。だが高度成長が始まり、昭和40年代に入った頃、白砂青松を謳われた瀬戸内海は瀕死の状態だった。大阪湾の自然海浜はほぼ埋め立てられ、瀬戸内海全域の各所にコンビナートが出現し、汚水を垂れ流し、赤潮が頻発していたんだ。

―ほんとかなあ、講釈師見てきたようなウソをつき、じゃないんですか。

―いい加減にしろ。ぼくは昭和43年から数年間、岡山の鷲羽山で瀬戸内海のレンジャーをしてたんだ。後ろに水島、前に番の洲のコンビナート。浜には黒いオイルが打ち上げられ、漁民が水上デモをしていた。

―じゃ、センセイは当事者じゃないですか。瀬戸内海国立公園のレンジャーだったんでしょう。それを食い止めるのが仕事じゃないんですか!

―冗談言うなよ。二十歳過ぎのペーペーだぜ。しかも、瀬戸内海国立公園と言っても、実質的に権限があるのは、景勝地や展望台のある岬だとか小っちゃな島だけ。当時、すでに瀬戸大橋の建設は閣議決定されていたけど、厚生省の国立公園部、今の環境省自然環境局なんて一言も口が挟めなかったんだから。

―センセイ、そりゃ情けなさ過ぎる。

―でも、その頃から風向きが変わり始めた。公害反対とか自然破壊反対の声が広がりはじめ、それが嵐のようになった。で、一気に公害規制が強化され、環境庁も誕生した疾風怒濤の時代だった。その最先頭を走ったのは瀬戸内海なんだ。漁民や市民の声に押されて、昭和46年に瀬戸内海環境保全知事・市長会議が誕生、瀬戸内海環境保全憲章を制定。翌年には瀬戸内海の環境保全のための特別の法律の制定を要求したけど、政府はまったく逃げ腰で、議員立法でついにその翌年瀬戸内海環境保全臨時措置法を制定したんだ。

―でも、議員立法ってそんな珍しくないんでしょう。

―ところがギッチョンチョン、ほとんどの議員立法と称するやつは黒子の省庁がいるんだ。瀬戸内法だけはその黒子役をぎりぎりまで沿岸府県の環境部局が務めたそうだよ。

―ま、でも問題は法律の中身でしょう。当時、いっぱい環境関係の法律が出来たじゃないですか、なにが特徴だったんですか。

―ぼくの独断と偏見で言えば、先駆性、先見性だよね。今日の環境行政を20年か30年前に先取りしたんだ。

―そんな抽象的に言われたってわかりませんよ。もっと具体的に。

―まず、昔っから行政ってのは中央集権でなおかつタテ割りだって知ってるよね、今日でもそうだし、環境省だって中ではタテ割りだ、水、大気、自然、ごみってね。そんななかで、異色の法律だったと思うよ。タテ割りと中央集権を排除するという理念があった。

―え、どういう風に?

―この法律の目的規定のなかに瀬戸内海の環境総体、つまり水もごみも自然も魚類資源も守るってなっているんだ。そしてそのために瀬戸内海環境保全基本計画っていうビジョンを作ることを定めた。いまの環境基本計画だとか、この三月閣議決定される予定の循環型社会形成推進基本計画の源流の少なくとも一部はここだと思うよ。ま、実際に計画ができたのは5年も経ってからだけどね。そしてお目付け役って言うか、お飾りと言うかは別にして審議会ってのがある。ほとんどの審議会はじつはお飾りなんだよね。だって委員はほとんどの場合各省が決めるんだもの。だから、各省の力関係が反映される。でも瀬戸内の審議会は半数を関係府県の知事または知事の推薦する者って決めたんだ。地方分権とか地方主権のハシリと言っていいんじゃないかな。だから思い切った個別施策もいくつかできた。

―へえ、どんな?

―排水の規制は水質汚濁防止法、いわゆる水濁法で決まっていて、随分厳しくしたんだけど、結局は濃度規制だった。そんななか、CODの量規制をやった。一気に半分にするってしたし、しかも、それを実現した。いまの東京湾、伊勢湾、瀬戸内海の総量規制の原動力になった。もう一つは埋立、最初は原則禁止を謳おうとしたが、一部地域の異論もあり、瀬戸内海の特殊性に配慮しなければならず、その運用に関しては審議会にゲタを預けたんだけど、産業界からも霞ヶ関からも原則禁止に特に強い異論はなかったらしい。そして昭和48年、全会一致で上程可決された。 つまり、自治体・市民・マスコミ連合が政府や産業界を押し切って法律を作り、その執行組織である瀬戸内室を環境庁のなかに作らせた。それ以降も、こうした出自の特異性から瀬戸内法行政は知事・市長会議と関係府県の自治体の環境部局に漁協や衛生団体も加わって作られた瀬戸内海環境保全協会の三位一体で進めると言う特殊な行政になった。最近でこそ、パートナーシップ云々って言いだすようになったけどねえ。

―それはともかくとして、その基本計画とか埋立への特別の配慮ってのはどうなったんですか。

―うーん、志は高かったが、ハードルも高かった。臨時措置法は名前の通り、三年間の時限立法だったんだけど、その間にオイルショックがあり、風向きが変わった。つまり環境風がぴたっと止まった。で、さらに二年延長して、ようやく基本計画について各省の合意を取り付けられたのは、後継法、つまりいまの瀬戸内法になる直前だった。ま、それでも閣議決定だから、各省も尊重する義務があるはずなんだけど、長い間軽視されてた。

―なんでえ。閣議決定ってそんな軽いものなんですか。

―いや、計画そのものが極めて抽象的、定性的なものにならざるをえなかったんだ。だって、環境風は吹かなくなったんだから。でも、「埋立の基本方針」については辛うじて「厳に埋立は抑制すべしであり、やむをえず認める場合は・・・」って形で答申がでて、ぎりぎり理念的に埋立抑制を謳い込めた。以降の瀬戸内室の重要業務はこの埋め立て案件の処理だった。

―理念だけじゃしょうがないじゃないですか。だっていまだって山ほど埋立やってるじゃないですか。

―ひとつは「駆け込み」だよね。法施行まえに免許取得してしまっていた。もうひとつはこの「基本方針」が抜け穴だらけということもある。でもねえ、「埋立の基本方針」には枕詞に「埋立は厳に抑制すべきである」ってあって、「やむをえず認める場合」の方針がごちゃごちゃ書いてあるんだけど、そもそも「やむをえず認める場合」ってのは何かということが一言も書いてないんだ。

―なんですかそれ、おかしいじゃないですか。

―おかしいったって、そうなってるんだからしょうがない。キミの顔と頭がおかしいったってどうしようもないだろう

―じゃ、まったく意味はなかったんですか

―そんなことはないよ、法施行前と後を比較したら随分埋め立ては減ったよ。それにね、表に出てくるまえに、埋立の基本方針の「厳に抑制すべし」を根拠につぶしたことも結構あると思うし、つぶすまで行かなくても縮小させたり、人工の藻場や干潟を作らせたりした。いまでいうミテイゲーションだよね。それは他の海域より先進的だったと思うよ。だって、埋立そのものに関しては環境庁はニュートラルなんだけど、唯一瀬戸内海だけは「厳に抑制すべき」という理念を謳ってるんだから。

―センセイもつぶしたことあるんですか。

―そりゃあるよ。でも守秘義務があるからいえない。

―ウソばっかり、言いたくってうずうずしてるくせに。

―わかった、わかった。でも固有名詞はださないよ。公有水面埋立の手続きを進めるまえの事前調整の段階で(※)、ある県がリゾート法がらみの計画で島の海岸を埋め立てて別荘分譲したいと言ってきた。じつは室長補佐以下の事務レベルではそれを基本的に認める方針で調整がついて、ぼくのところに話が上がってきた。それではじめてそれを知って、国民共有の財産である海を埋め立てて個人に切り売りするようなものは到底「やむをえず認める場合」とは言い難いってつっぱねちゃった。 ※埋立認可は運輸省や建設省の権限であるが、認可にあたっては環境庁の意見を聞くことになっており、事業者が県の場合は、計画の時点で県の環境部局との調整を終え、環境庁とも事前調整を行うのが通常のルール。環境庁の窓口はアセス担当課であるが、瀬戸内海での埋立案件は実質的には瀬戸内海環境保全室が調整を行う。

―センセイは別荘なんて到底持てそうにないからひがんだんでしょう。いやらしいなあ。

―うるさい! 県は怒ってトップまで直談判に来たけど、首を縦に振らず、とうとう「別荘分譲のための埋立は<やむをえず認める場合>に該当しない」という通達を出しちゃった。県には恨まれたけど、結果的にはリゾート法はひどいことになってるもんなあ。もしゴーサイン出してたら、いまごろ赤字抱えてうんうん言ってるよ。宮崎のシーガイアもぶっとんだしねえ。大体第三セクターってのはダメだねえ。役所の公平性と民間の効率性のいいとこどりって触れ込みだけど、九十九%は役所の非効率性、官僚主義と民間のあくどい営利主義の合体プラス無責任体制でメチャメチャだよねえ。

―ま、その話は聞き飽きたからいいです。他には?

―なんだ、これから大演説ぶとうと思ったのに。ま、いいや。それからね、或る県が人工島で空港計画を持ち込んできた。ところがなにも人工島を作らなくたって、沿岸には製鉄会社の広い遊休地があるんだよねえ。だから、「やむをえず認める場合」かどうか疑わしいってつっぱねた。採算性や必要性にもともと疑問はあったけど、環境庁はそこまで言うわけにいかないし、最後の落としどころはその遊休地を使い、不足分はそのまわりを埋め立てて空港を作るんだったらやむをえないかと思ってたんだ。ところが県はあっさりと方針変更して内陸部に計画変更した。

―へえ、それでどうなったんですか。

―住民の反対運動でにっちもさっちも行かなくなり、最近になって財政難でギブアップ前提の見直しをすることにしたらしいよ。大体これだって採算がとれるわけがないんだ。

―いつごろの話なんですか。

―両方ともバブル崩壊前夜のころだ。

―へえ、センセイには浅見の迷があったんですねえ。ま、その話はそれくらいにして、さっきは臨時措置法の話ですよねえ。特別措置法になってなにが変わったんですか。

―うーん、相当難航したようだよ。それでも、燐の抑制指導だとか自然海浜保全地区制度の導入だとか、いくつかの新しいものを持ち込めた。燐って知ってるよね。

―ええ、富栄養化、つまり赤潮なんかの原因物質でしょう。窒素もそうじゃなかったですか。

―そうそう、でも定性的にはそうは言えても、実証的・定量的に証明するのはむつかしい。そんななか、辛うじて燐だけは抑制指導を明示できた。ぼくのときはなんとか窒素の抑制指導まで持ち込めないかといろいろやったけど、ダメだったね。実証的・定量的に窒素抑制の必要を証明しろの一点張りでねえ。でも、それから十数年、いまじゃ燐も窒素も規制対象になってるけどね。

―へえ、それだけ科学が進歩したんだ。

―さあ、どうかなあ。むしろ環境に関しては疑わしきは罰せよ精神が90年代に入って、ようやく浸透してきたからじゃないかなあ。そりゃ、他の役所は既得権益の保護のためにあの手この手で屁理屈をいい、政治家の手も借りて規制逃れをしようとするけど、むしろ、積極的に環境に打って出るほうが予算や権限の拡大につながると見れば、方針変更は平気でするよ。90年代から今日はまさにそういう時代なんだよ。世間を騒がすような大型の公共事業も姿を消しつつあるし、国土交通省は淀川水系では脱ダム宣言までしちゃった

―だって、あれは委員会の提言でしょう。国土交通省は怒り狂ってるんじゃないかと思ってたんだけど。

―だって委員を選ぶのは国土交通省なんだから、出来レースに決まってるじゃない。すくなくとも大都市圏では従来型のダム建設は断念、環境配慮事業に舵を切り替えたとみるべきだと思うよ。

―へえ、でもなんでそういう風に変わっちゃったんですか。

―ひとつは地球風だ。なんせ外圧に弱いからねえ。86年のチェルノブイル原発事故でヨーロッパが環境重視に方向転換。温暖化問題が一気に浮上してダメ押しは92年のリオサミットだね。 企業のほうもヨーロッパへの輸出企業を中心にISO取得がブームになり、環境での差別化を図る企業が続出してきた。もうひとつはごみ問題だ。最終処分場が逼迫してきた。これにダメ押ししたのがダイキシンパニックだ。減量の切り札、ごみ焼却場の建設がむつかしくなった。ぼく自身はダイオキシンのリスクは他の汚染物質のリスクと大差ないと思っているけど、要は都会のツケを押し付けられてきた地方の住民がダイオキシンをきっかけに反乱を起こしたんだ。 最後はやっぱりバブルの崩壊だね。そしてそれと期を一にして、いままで常識と思われてきたものが片っ端から変わっていった。自民党単独政権の終焉、ソ連圏の自滅、土地神話の崩壊、そうしたなかでなんとか経済を立て直そうと、赤字国債を湯水のごとく使い、大型公共事業をやったけど、景気は回復せず、その赤字漬けのなかで、年金も保険も危うくなってきて、将来への不安感がいや増してきたんだ。こうしたなかで、循環とか共生とか持続可能な発展という問題意識が定着してきた。以前だったら、自治体の首長なんて、中央とのパイプを誇示していっぱい補助金を持ってくるのがえらいと思われていた。ところがいまじゃそんなのはお呼びじゃなくなっちゃった。悲願だった環境基本法やアセス法が成立したのもこうした時代の流れのなかだよね。いずれ炭素税だって実現するよ。時代は変わったんだ。各省だって、環境保全、環境配慮を旗印にしたほうが、予算、権限、人員の確保につながるとなれば、一斉になだれこむよ、もちろん環境省へ権限は渡さずにね。これが日本式のコーゾーカイカクなんだ。こうしたなかで、瀬戸内海環境基本計画もついに変わることになったんだ。

―へえ、やっぱり環境の時代が来たんだ。

―と、いう風にすぐ短絡してしまうところがキミのダメなところだ。

―えー、どうしてですか?

―一方じゃ、不景気だ、不良債権だ、デフレだって声が山ほどあり、景気対策が重要だ、内需拡大だって騒いでいる。こうした声が相変わらずムダで採算の取れない公共事業を押し上げている。さすがに、物議をかもすような大型開発は消えたけどね。キミ、F池って知ってるかい。

―ええ、いつかゼミで連れていってもらいました。里山に囲まれたひなびた池だったですね。水鳥がいっぱいいて、まわりに閑静な遊歩道があって。早く彼女を作って、あの池のほとりでくちづけしたいなって思ったんですよ。

―で、実行したのかい?

―それは内緒、そんなことより早く先を言って下さいよ。

―わかった、わかった。いま、あそこのそばの山のてっぺんを大々的に切り崩して駐車場と大きな建物ができちゃったし、池につづく斜面は伐開して芝生広場になっちゃったよ。

―えー、じゃああの池の雰囲気は台無しじゃないですか。民間が開発してるんですか?

―ちがうよ。きみの好きな県と市の公園づくりだよ。馬鹿でかい建物は「自然観察学習館」で、環境保全事業だそうだよ。何十億円もかけてるんだろう

―そんなあ・・・

―そのてのものがまだまだ至るところにあるよ。ハコモノからソフトに変わらなきゃいけないんだけど、一向に底辺では変わっていないねえ。

―センセイ、それより瀬戸内計画の見直しのポイントをまだ聞いてないんですけど。

―でも、もう紙数がない。やっぱり現役にまかせよう。

―センセイ、じつは読んでなかったりして・・

―(ぎくっ)バカ言うなよ。じゃ、いくつか指摘しておこう。まずこの改定にあたって広く意見を募り、何回も公聴会をやったりした。いままでみたいに密室のなかで決めるという手法はとられなかった。そして随所に見られる特徴は過去の開発のそれも含めて環境の復元・創造、つまりミテイゲーションに力を入れていること。もうひとつは地域住民の意向の反映、参加を強調していることだと思うよ。旧計画は住民は啓蒙の対象、理解と協力を得る存在だったけど、もはや住民は保全の主体として位置づけられた。

―でもコトバだけかもしれないでしょう

―もちろん、その危険性はある。この基本計画の実現のために、各省庁を横断的にフォローアップする体制が必要なんだけど。残念ながら今日の霞ヶ関ルールではムリだ。これを打ち破るのは市民住民の力だ。かれらが自ら動こうとするとき、それが閣議決定であるが故に、霞ヶ関ルールを現場から壊していくだけの可能性を残したんだと思うな。ぼくはいずれ埋立に関しては住民の賛否を問うような制度が地方から生まれると思うよ。

―そのうちに瀬戸内法自体の改正に打って出るかな。

―多分、それが最終的なねらいなんだろうな。さ、ぼちぼち紙数も尽きかけた。それより、こんど第三回世界水フォーラムが開かれるけど、どうなると思う。新たな波の始まりか、単なるイベントか。

―やってみないとわかんないんじゃないですか。

―どうして?

―だって、所詮ミズものですもん。