自然再生事業と国立公園
―センセイ、ウソつきましたね
―え、なんのことだい
―前号で淀川水系流域委員会の脱ダム提言について国土交通省が怒り狂ってるんじゃないかってボクが言ったら、なんていいました?
―そんなの覚えてないよ。春眠暁を覚えずだ。
―なに、わけのわかんないこと言ってるんですか。「委員を選ぶのは国土交通省なんだから、出来レースに決まってるじゃないか」って言ったんですよ。(新聞記事を見せながら)でも、新聞には国土交通省は委員会の提言を拒否してるってでてますよ。
―(うろたえて)うーん、なるほどねえ。落としどころについての役人の読み違いかな、それともコントロール能力を失ったのかなあ。いやいや、国士型官僚から利害調整型官僚に変わったと思い込んでいたんだが、もはや成行任せ官僚に変わったのかなあ(ブツブツ)。
―(額に手をあて)センセ、大丈夫ですか。なにブツブツ言ってんですか。まさかSARSじゃないでしょうね。
―いやあ、ぼくらが役人の頃には、利害関係者の反応を考えながら、落としどころを考え、それに向けていかに誘導していくかが、役人の真髄だと考えられていたんだ。もっと昔はGHQの威を借りられたから、役人こそが国家天下をリードできるんだみたいな国士型官僚が幅を利かせていたらしい。ま、これは昔、水質保全局長をしていた農水省の佐竹五六さんの「体験的官僚論」の受け売りで、かれは利害調整型官僚のことをリアリスト官僚と呼んでいるけどね。でも、もはや利害関係者のだれもが渋々ながら納得する落としどころなんて考えられなくなった、或いは落としどころを考えるのは役人の役目じゃない時代になったのかもしれないねえ。
―じゃ、これからどうなるんですか。
―そんなこと、ぼくにわかるわけがない。でもねえ、小さな市町村長レベルではともかく、知事レベルになるとこのあいだの統一地方選挙をみても、公共事業削減をみんな言ってるから、もはやできないんじゃないかなあ。問題は昔、ダム建設を無理やり納得させられて、ダム建設を前提に地域おこしを考えざるをえなくなった人たちをどうやって説得するかだと思うよ。
―でも、そんな国の政策がころころ変わると、国に対する信頼がますますなくなっちゃうんじゃないですか。
―まあ、そうなんだけど、逆説的にいえば、それで地域の、或いは個々人の自立の機運が高まることにつながるかもしれない。60年代後半から70年前後がそうだった。前号でも言ったけど、瀬戸内法がそうだよね。地方が国を包囲して作らせた法律だもんな。ま、いずれにせよ、国土交通省にしたって、農水省にしたって、着工済みのような奴はいきがかりってものがあるからどうなるか判らないけど、新しくやろうとする事業は環境配慮型あるいは自然再生型事業に軸足を置くにちがいないと思うよ。
―たしか自然再生推進法ができましたよねえ。
―うん、議員立法で成立。今年の一月一日から施行され、三月には自然再生基本方針が閣議決定された。実務ベースでは数年まえから事業が試行されている。
―自然再生事業って簡単に言えばなんですか?−時間差攻撃のミテイゲーションだね。
―また、わけのわからないことを。
―ミテイゲーションというのは、開発に伴う環境影響を限りなくゼロに近づける手法ということになっているけど、開発が終わったあとからだっていいだろう? 自然再生事業ってのは各省が協力し合い、NGOなどの参加も得て、かつて公共事業などで破壊した環境を復元する事業だね。例えば直線化した河川を元の蛇行河川にもどすとかね。
―へえ、結構なことじゃないですか。でも各省がそんなことOKするんですか。いまの例だと、河川を直線化したことを自己否定するようなもんじゃないですか。
―当初の目的を達成したとか、時代の要請だとか、なんでとでもいいぬけられるさ。河川にしたって海岸にしたって、主だったところはもうあらかた改変し尽くしたから、公共事業の延命を図るためなら喜んで受け入れるよ。ただし、個々の事業に関しては環境省やNGOにいかにヘゲモニーを持たさないようにするかに腐心するだろうね。環境省にしてみれば、自らの権限下に置いて、施工だけを各省にさせるのが最終的な狙いだろうから、一応法制化されたけど、実施にあたっては、これから水面下で猛烈なつばぜりあいになるだろうな。NGOはNGOでいいように使われるだけだったら、たまらないだろうしね。
―浜の真砂は尽きるとも、役所の縄張り争いは永遠につづくってことですね。
―でも、これって土木的、工学的なハード事業に傾斜しすぎだと思うな。オカネもかかるし、形だけ蛇行河川に戻してもホントに自然再生できるのか。多くの場合、自然環境ってのは、人為を拒んできた環境じゃなくて、ヒトと共生してきた結果なんだ。別にヒトが共生しようとしてやったのじゃないけど、生きるために干渉してきたし、そういう生き方、ライフスタイルを何千年とやってきたんだよね。里山なんてのはそういうライフスタイルが生み出した環境なんだけど、それが完全に滅んだ現在、昔のような里山を維持するのが不可能になってしまった。つまり工業化・都市化に伴う古典的な公害は「病理」だった。病理はクスリで直せる。だけど自然と生活との共生の様相が変貌したというのは文明の病理というより「生理」だよね。生理を変えるのは本来的には日々の「鍛錬」しかない。いま、その「鍛錬」ができるかどうかが問われているんだけど、環境省はその部分をNGOに期待しているみたいだな。そういう意味では国立公園のグリーンワーカー事業なんてのとリンクさせることが必要かも知らないねえ。
―グリーンワーカー事業?
―うん、自然公園の施設整備は年間百億円台の国費を投入しているけど、維持管理とかさまざまなソフト事業にはほとんど予算がなかったんだ。それがようやく一昨年グリーンワーカー事業という予算が付いた。NGOや地元の自然に詳しい人たちの手を借りて、国立公園の管理を行うという、昔のレンジャーが手作りでやってきたことをもっとおおがかりにやるようなもんだ。それでもまだ一億円ちょっとだから、施設整備事業なんてのは大幅カットして、そのカネを回せば日本の国立公園はもっとよくなるよ。
―国立公園て言えばセンセイは昔は瀬戸内海国立公園のレンジャーだったんですよね。
―そう鷲羽山のプリンスと呼ばれていた(笑)。
―(無視して)一人きりだったんですか。
―そう、当時、いくつかの国立公園では一応管理事務所があって、所長以下数名の小さいながら「組織」といえるところもあったけど、残りの大半は単独駐在って言って、霞ヶ関の末端の職員がポツンと一人駐在していたんだ。ぼくはその単独駐在を三箇所で延べ十年近くやってたけど、その最初が鷲羽山で瀬戸内海国立公園の岡山県全域が担当だった。岬の付け根のお粗末な事務所兼住宅に住んでたんだ。もっとも二年後に組織としての「事務所」ができて、所長が来て、課長が来て、で、それで終り。一気にプリンスからお茶汲みに転落した。
―ま、センセイはそのほうが似合いですよ。
―うるさい! ま、今にして思えば、大学でたての若造なんだから当たり前なんだけどね。
―でもねえ、レンジャーって遭難救助したり、パトロールして悪いひとをつかまえたり、自然解説したりするんですよねえ。ボクは前から不思議だったんだけど、運動神経も鈍くて、樹木も鳥の名前もほとんど知らないセンセイがよくレンジャーなんてできましたよねえ。
―なんでキミにそんなこと言われなくちゃいけないんだ。失敬な!
―(気にせずに)でも、アメリカにはレンジャーって一万人以上もいるんでしょう。日本はやっと二百人、センセイが現役レンジャーのころには五十人ちょっとだったんですってね。日本ってほんとお粗末ですよねえ。
―(怒りを堪えて)キミをぶんなぐりたいけど、教師の暴力なんて訴えられると厄介だからなあ。
―ま、センセイの給料払ってるのはボクたちなんだし、少しくらい言わせて貰ったっていいじゃないですか、ね、センセイ(甘える)
―まったく、キミって奴は。ま、いいや説明してやるよ。アメリカの国立公園と日本の国立公園ではまず面積がちがう。面積あたりでいえば、もう少し差は縮まるけど、それは本質的なことじゃない。アメリカでは利用者のための施設の整備や管理、自然解説や野生生物の調査から治療までさまざまな分担を持った多くのレンジャーがいて、国立公園のなかで火事が起きたり、遭難事故が起きたりしても、その対応はレンジャーが行う。日本じゃ、火事は消防署だし、遭難は県警の出番だ。そもそもシステムが違うんだから人数を比較しても意味がない。
―だって同じNational Park じゃないですか。
―アメリカっていうか、世界のたいていの国じゃ、国立公園というのは国が土地の所有権なり管理権を持ってる公園専用地になっている。アメリカの場合は内務省の国立公園局が土地を管理しているんだ。日本では、土地の所有権や管理権を持っていなくて、他人の土地をすぐれた自然の風景地だからという理由でもって、法律で指定・規制しているんだ。でも一方じゃ、憲法で財産権を保障しているから、規制するといっても限度がある。国有地が半分以上はあるけど、そのほとんどは林野庁が管理する国有林で、かれらは特別会計、つまり林業経営でメシを食っている。だから、日本の場合、国立公園のなかに人は住んでいるし、木は切り出しているし、さまざまな産業活動もしている。家を建てたり、道路を作ったり、開墾したりすることも、手続きを踏めば、ときには手続きなしでも、可能なんだ。そういう土地利用の調整がたいへんなんだ。で、レンジャーと言っても、日本の場合は、その仕事の大半はそうした許認可の指導・調整になってしまう。でもテレビなんかじゃ、それでは絵にならないから、パトロールだとか自然解説のところばかりとりあげる。だから、そういう誤解が生まれるんだけど、日本の場合、レンジャーというのはナチュラリストでなく、あくまで行政官なんだ。だから運動神経は関係ないし、自分が樹木の名前を知っているよりも、樹木の名前を知っている人のネットワークを作り上げられる才能のほうが必要なんだ。(うーん、自分でも弁解臭いな)
―なんだ、じゃ、そういう事務的なことばっかりやってたんですか。つまんない。
―そんなことはないよ。だって、当時は組織の体を成しておらず、霞ヶ関の職員が単身で事務所兼住宅に住んでいるんだから、たとえ霞ヶ関の序列では下っ端であっても、一見ミスター環境庁、いや当時はミスター厚生省か、として、地元の市町村や旅館の親父さんたちや住民と接するんだもん、たいへんなことも面白いこともあったさ。ちやほやされたり、おそれられたりもした。地元の人に信頼されるためには、夜一緒に飲んだり、愚痴を聞いてあげなくちゃいけないこともあったしね。ただ法律と建前だけ振りかざして、事務的にあるいは強権的に接したらいいというもんじゃないんだ。
―はーん、センセイは地元の人の無知と人情をうまく利用して散々只酒を飲んだんだ。
―人聞きの悪いことをいうなよ。そういうことはもちろんあったけど、事務所兼住宅に訪ねてきた人には酒を振舞ったりもしたよ。
―その酒は買ったんですか。
―(小さく)貰い物。申請者が持って来るんだ。断りきれなくて・・・
―やっぱりなあ
―でも、ぼくらの大先輩はもっと苦労したらしいよ。レンジャー制度50周年ということで、「レンジャーの先駆者たち」という本が自然公園財団から今年出された。瀬戸内海だと、鷲羽山のほかに由良友ケ島、宮島、大久野島、屋島にレンジャーがいたんだけど、その頃の苦労話は涙無しでは読めないよ。ま、いまの現役のレンジャーからしてみれば、おとぎ話みたいなもので、読む気もしないかもしれないけどね。
―センセイも書いてるんですか。
―(憮然として)書かせてくれなかった・・・
―やっぱりねえ(うなずく)
―なにがやっぱりなんだ! 鷲羽山のつぎは北アルプスに行ったんだけど、その頃からスカイラインやロープウエイなどの観光開発に反対する自然保護運動も盛んになってきた。でも、それは公害反対運動とはちがって、いわば他所者の運動でね、地元ではそれに対する反感がすごかったことも忘れちゃならない。そういうときのレンジャーってのは或る意味では板挟みでね、地元のひとに対しては、安易な外部資本を入れた開発をすることは結局は自分たちの首をしめることにつながるって啓蒙・説得しつつ、反対運動の人たちには地元の人たちの悩み苦しみを共有せずに、ただ反対だけするのはかえって地元の反発を買うだけだと言って、双方の反発を食らったりもした。で、上はいきなり霞ヶ関ということになるから、実際は個々のレンジャーがてづくりで仕事を作っていた面もあったな。
―(疑わしげに)なんか、コトバだけ聞くとすごくかっこいいじゃないですか。
―それと地元のひとたちにはレンジャーっていうのはただ規制するだけじゃなくて、目に見える形で地元にも貢献しているというのを見せなくちゃいけないというんで、地元の人たちを組織して任意団体をつくり、みんなで清掃したり、その団体のカネで学生のバイトを使って山のパトロールや清掃もさせた。でも泊まるところがあるわけじゃないから、夏の間は狭い事務所兼住宅には常時十人前後が泊まってたりして、いまにして思うと懐かしいよ。
―おもしろそうだ。いまもそうなんですか。
―いや、もうそんな非組織的なことはしてないと思うよ。あの頃だからできたんだ。じつは、そのあと自然公園の管理体制は大きく変わっていったし、いまも変わりつつある。レンジャーの仕事もすっかり様変わりしちやったなあ。
―自然公園法も改正されたんですね。
―うん、何回も改正されているよ。昨年には利用調整地区制度の導入、風景地保護協定、公園管理団体制度の創設といった、生物多様性の観点や、NPOとの協力体制の構築を目指した改正を行った。
―レンジャーの体制や仕事はどういう風に変わってきたんですか。そしてこんご国立公園はどういう方向に変わっていけばいいんですか。
―もうページ数がない。だからつづきは次号ということにしよう。
―それに瀬戸内海国立公園というものがありながら、瀬戸内海の環境保全に寄与することがあまりにも少なくて、瀬戸内法をつくらざるをえなかったわけでしょう。その辺りの事情もちゃんと自己批判しつつ説明しなければダメですよ。
―(萎れて)ハイ、わかりました。
(南九研時報36号(02/8)の拙稿を元に改稿しました。)