環境漫才への招待

亜鉛の環境基準と環境教育推進法 付:レンジャー私史

―お、どうしたんだ。ちょっと不自然なほどウキウキしてるじゃないか。

―相変わらず、口がわるいな。そんなんだから、彼女に逃げられるだ。

―へえ、ところで、夏休み中、アエンのケリがどうつくか見ものだな。

(環境基準と生物多様性)

―(驚いて)ちがう、ちがう、金属の亜鉛、Znだ。

―ヒトの健康と生活環境を守るうえでの望ましい「環境基準」というのが、環境基本法で定められており、この環境基準の維持達成が行政の努力目標になっているんだけど、九十年代に入り、単にヒトのみならず、ヒトをも含む生態系全体の保全、即ち生物多様性の保全が謳われてきており、そういう意味からも環境基準の見直しが必要になってきたんだ。去年、キミの後輩にじっくり話してやったよ。南九研時報三十六号の「環境基準と生物多様性」をもういっぺん読み直してみろよ。

―新・生物多様性国家戦略が閣議決定されただけでなく、自然公園法や、鳥獣保護法でも近年になって、生物多様性を意識した改正が相次いだし、化学物質審査法でも生態系保全を視野に入れた見直しがはじまり、環境アセスメントでも生物多様性の観点からの評価が取り入れられた。自然再生推進法だってそうだ。

―そうは簡単にいかないよ。三十六号でも言ったんだけど、生物多様性の保全なんて、総論賛成、各論反対の世界だもん。科学的なデータも乏しいし、害虫だとか病原体生物も保全しなきゃいけないのかとか、うんざりするような議論も出て収拾がつかなくなるよ。 だから、将来的にはそういうことも視野に入れつつ、とりあえず、できるところから地道にやっていこうということになり、水質の場合、まずは代表的な魚がその餌生物も含め健全に成育できるための基準を決め、それを広い意味でのヒトの生活環境だということで、生活環境項目として追加するというのなら、一般の理解も得やすいだろうということで検討がはじまったんだ。

―そう、淡水域の上下流、海域と三つに分けて、いろんな物質の毒性データ、環境データなどの検討が専門家による検討会ではじまり、昨夏、亜鉛などの金属、ホルムアルデヒドなどの化学物質の計九個の物質について、水質目標値案を公表したというところまで話したはずだよ。

―これをもとに水生生物保全のための基準を決め、それを生活環境項目に追加しようというので、中央環境審議会(水環境部会)に諮問。中央環境審議会は昨年12月、水生生物保全環境基準専門委員会を発足させた。で、先月その専門委員会が報告書をまとめたんだ。

―検討会報告書で案を公表した九物質のうち、一物質を除いた八物質について水質目標値を専門委員会として決定した。で、この水質目標値の扱いなんだけど、このうち亜鉛に関してはこの目標値を「環境基準」として設定、ホルムアルデヒド、フェノール、クロロフォルムの三物質については水質汚濁防止法上の監視項目と位置付け、この水質目標値を評価基準として監視していく、そして他の四物質は目標値を広く公表するにとどめ経過をみるのを妥当としたんだ。

―毒性試験などのデータが豊富かどうかということと、現実の水環境中で目標値を上回るレベルの濃度が出現している程度や、測定の容易さ、或いは海外での事例とかを勘案したんだと思うよ。やっぱり環境基準の設定となれば、排水基準との連動も考えなきゃいけないから、相当慎重に構えて、とりあえずは亜鉛だけに絞ったんだろう。

(亜鉛の環境基準をめぐる産業界との対立)

―そう、この専門委員会報告を案の段階でいまはやりのPC(パブリックコメント)を求めたところ、多分産業界からと思われる多数の反対意見が寄せられた。これを強行突破して専門委員会報告を確定させたんだけど、経団連はこれに真っ向から反対して、記者発表まで行った。専門委員会報告は中央環境審議会水質部会に提示されたんだけど、その場でも産業界系の委員が猛反対。専門委員会報告をもって答申とするという慣例が破られ、ついに次回まで先送りとなった。その次回というのが多分この夏休み中じゃないかと言うんだ。

―環境基準が決まれば、つぎは排水基準というのを決める。金属や化学物質に関しては環境基準値の十倍の値で排水基準を決定してきたんだけど、そんな排水基準が決められたんじゃ、とても対応できないと言うのが本音だろうな。そのため、科学論争という形をとって、なぜ亜鉛かということや、その環境基準値の設定方法がおかしいとか、データの信頼性が乏しいとかいろいろ言ってるんだ。

―多分まだできあがってないだけだと思うけど、環境省のHPでは、最終の専門委員会の議事録を公表していないし、先日の中央環境審議会水環境部会は議事要旨すら公表してないので、詳細はわからないから判断は保留するよ。

―うるさいなあ、キミは。ぼくにわかるわけないじゃないないか、恥をかかせるなよ。 ただ、この件に関しては検討の初期段階から逐次議事録や配布資料などの公表をしているんだから、いまごろになってただ反対されてもなあと直感的には思うよ。 生態系の保全という観点からの基準つくり自体に反対するのでない限り、対案を出すべきじゃないかな。 また、データ不足というのはそのとおりかもしれないけど、未然予防という観点から言うと、すべてのデータがそろい科学的に百%解明されるまで待つわけにはいかないということがあるよね。 データが比較的豊富で、諸外国でも環境基準が決められているというんで、ひとつに絞り込んだその亜鉛ですら決まらなければ、永遠に決まらなくなっちゃうよ。 たしかに亜鉛は必須元素で自然界に存在しているものだけど、だからといって人為的な亜鉛排水が好ましくないのは当然だよね。環境基準や排水基準を設定するかどうかはとりあえず別にしても、人為的な排水は極力抑えるべきだと思うなあ。専門委員会では魚だけではなく、餌生物も棲息できる環境を目標にすべきだといって、ヒラタカゲロウという餌生物について検討して値を決めたらしいんだけど、新聞報道では経団連は魚の餌は他にもあるだろうからヒラタカゲロウなんていなくなったって構わないなんて発言したそうだ。どうかと思うよね。

―わからない。いままでは密室や水面下での議論が多かったんだけど、こういう形で国民のまえで意見が戦わされること自体はいいことだと思うよ。それと産業界とは言っても亜鉛を排出する業種は特定されるから、経団連が最後まで徹底抗戦できるかどうか。

―最低でも排水直後に十倍以上には薄まるからということじゃなかったかな。ま、一種の割り切りから来る慣例で、環境基準値の十倍値にしろって別に法律で決まっているわけじゃない。排水基準はまた別に議論して決める法定事項だから、別といえば別なんだけど、排水基準の決め方に関して亜鉛だけ別というのもちょっと説明が付かないもんなあ。 もっとも特定の業種に関して排水基準の達成が現在の技術水準で困難だというのなら期限を決めての暫定排水基準ということも可能だ。

―審議会というのは法律で設置することが決まってるんだけど、その法律を決める際に各省協議というのをやらなきゃいけない。そのなかで馬に食わせるほどの量の覚書みたいな水面下での約束事項が取り決められて、そのなかで各省の推薦する委員枠みたいなものが不文律として決まってくるんだ。一つの省が暴走するのを抑えるチエック機構のひとつだと言えるけど、同時にドラステイックな政策転換する際の足枷にもなってしまう。多数決っていう術がないわけじゃないけど、全会一致というのがいままでの慣例だもんなあ。

―そう、これからどうなるかじっくりと見ていこう。

(環境教育推進法の骨抜き成立)

―三十九号で環境教育法ができるかもしれないって話をしたよね。七月一五日に衆院、一八日に参院で可決され成立した。施行は今年の十月一日からだ。正式名称は「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」という長ったらしい名称。議員立法で主務省庁は環境省、文部科学省、農水省、経産省、国土交通省の五省庁共管ってことだ。

―消えた、全部消えた、きれいさっぱり消えた。

―与党のプロジェクトチームが文部科学省と折衝したけど、学校教育のカリキュラムは文部科学省の聖域だから口出しすることは一切まかりならんとケンもホロロの扱いだったらしい。それに専任教員の貼り付けは予算や人員増がからむから財務省だってノーだよね。でもねえ、それじゃいったいなんのための議員立法かってあきれちゃうよね。

―環境省のHPから引用した図を掲げておくけど、政省令がまだできていないし、国が定めるとされた「基本方針」や、地方公共団体が定めるとされた「方針、計画等」がどんなものになるかさっぱりわからないから評価のしようもないなあ。まあ、現時点では抽象的、理念的なことばっかりだといって過言でない。まあ、基本方針のほうはあまり期待できないけど、各地方自治体でつくる「方針、計画等」に、市民やNGOがどこまで意見を反映させられるかだね。やる気のある自治体や学校長にはこのフレームをうまく使って、地域の理解と協力のもとで、実践的な環境教育や教員の研修を進めてほしいよねえ。そうした試行が全国各地でうまくいって、付則で定められた五年後の見直しに反映されることを期待しておこう。

―でもねえ、一気にやるときはやらないと、すべて見せ掛けだけのおためごかしの改革におわってしまうこともあるから気をつけたほうがいいよ。コイズミ改革がいい例だ。一気呵成にしなきゃいけない改革は腰砕けで、その癖、イラク特措法だとか有事立法だとか、とんでもないことだけは強引にやっちゃうんだから。大体イラクの大量破壊兵器なんて存在しなかったんじゃないか?

(レンジャー私史)

―わかった、わかった。ところでレンジャーって知ってるよね。環境省の現地駐在員の俗称で、正式名称は「国立公園管理員」から「国立公園管理官」を経て、いまでは「自然保護官」と言っている。今年はそのレンジャー制度発足五十年になるんだ。

―バカ、そんなところしか覚えてないのか。でもねえ、ボクの頃はまだそれでもレンジャーっていう存在自体は認知されてたけど、ぼくらの大先輩の頃はもっとたいへんだったみたいだよ。つい先日公刊された「レンジャーの先駆者たち」(自然公園財団 http://bes.or.jp/ 千八百円)には往年のレンジャーたち数十人の苦労話がでている。 レンジャー制度は昭和二十八年にはじまったんだけど、役場ですら国立公園の仕組みなど知らないようなところへ、事務所も住宅もあてのないまま現地に赴任したみたいな話がぼろぼろ出てくるんだから、涙なくしては読めないよ。

―(憮然として)書かせてくれなかった・・・

―なにがやっぱりだ。原則として各駐在地の初代レンジャーが執筆することとされたんだけど、ぼくのいた三箇所ともぼくは初代じゃなかったからなんだ。

―ぼくが最初に駐在したのは、多島海景観で知られている瀬戸内海国立公園の展望台として有名な鷲羽山で、その公園の岡山県全域が担当だった。たしかに多島海景観はすばらしかったけど、海自体はどんどん埋立が進行し、コンビナートなどの排水で環境破壊が深刻だった。でも、実質的な規制が或る程度できる国立公園区域というのは陸域では岬の先端とか島の上半分だとかで、海面は一応国立公園ではあったけど、事実上ほとんど規制できない仕組みになっていて、そうした状況にまったく関与できなかった。悔しかったねえ。

―人聞きの悪いことをいうなよ。それなりに楽しんだり苦しんだりして仕事はしたよ。 で、そのあとがアルピニストのメッカ、中部山岳国立公園だ。岐阜県の平湯温泉ってとこに駐在し、公園の岐阜県側全域が担当だった。二、三十軒ほどの旅館や民宿からなる温泉集落の外れの森のなかの一軒家だったんだけど、冬の三ヶ月ほどは二メートルの雪に閉じ込められた日々だった。当時はまだ独身で、夏の盛りが過ぎると一気に人影が絶え、悲恋・失恋に涙していたことを思い出すよ。

―なんとでもいえ。ぼくにだって青春時代はあったんだ。 ところでこの頃、都会では公害反対運動が盛んで、平湯温泉に駐在して二年目に環境庁ができて、厚生省国立公園部は組織ごと環境庁自然保護局に移行、でも事務所の看板を書き換える予算もないから、ぼくが手書きで書き換えた。 ま、それはともかくとして、僻地でも同じようにスカイラインやロープウエイなどの観光開発に反対する自然保護運動が起きていた。でも、それは公害反対運動とはちがって、多くの場合いわば他所者の運動でね、地元ではそれに対する反感がすごかったことも忘れちゃならない。 三十五号でも言ったけど、そういうときのレンジャーってのは或る意味では板挟みでね、地元のひとに対しては、安易な外部資本を入れた開発をすることは結局は自分たちの首をしめることにつながるって啓蒙・説得しつつ、都会の反対運動の人たちには地元の人たちの悩み苦しみを共有せずに、ただ反対だけするのはかえって地元の反発を買うだけだと言って、双方の反発を食らったりもした。

―(照れくさそうに)いや、ぼくの赴任したときはそこのスカイラインもロープウエイもほぼ出来上がっていたから、そうでもなかったけど(笑)。 でも昭和四十六年に環境庁ができてからは格段に自然公園の規制の運用は厳しくなり、とくに核心部での新たな観光開発は認めないようになった。

―だから、レンジャーってのはただ規制するだけじゃなくて、目に見える形で地元にも貢献しているというのを見せなくちゃいけないというんで、地元の人たちを組織して任意団体をつくり、みんなで清掃したり、その団体のカネで学生のバイトを使って山のパトロールや清掃もさせた。でも泊まるところがあるわけじゃないから、夏の間は狭い事務所兼住宅には常時十人前後が泊まってたりした。全共闘くずれの山好きの学生たちばっかりでねえ、まるで梁山泊だったな。いまにして思うと懐かしいよ。

―東京で総理府というところに二年間いたあと、霧島屋久国立公園のレンジャーになった。えびの高原に駐在し、宮崎、鹿児島両県にまたがる特異な火山地帯である霧島地区全域が担当だった。詳しくは三十五号を見てほしいんだけど、日本の場合、アメリカのような諸外国とちがって、国立公園とはいっても環境庁が土地の所有権、管理権を有している公園専用地ってほとんどないんだ。でも、えびの高原の中心部は例外的に環境庁の管理する公園専用地だったから、そこだけはアメリカ型と言って言えないことはない。 でもねえ、たとえば大雨で歩道に樹が倒れたりしているのを見つければ、それまでは歩道の管理者、つまり自治体だとか営林署に電話して「利用者が迷惑するから片付けといて」と言うだけでよかったんだけど、環境庁の土地や施設なら自分がしなきゃいけない。かといって人手もカネもないから大雨のときなんかは自分でシャベル持って駐車場や遊歩道を回ったよ。アメリカ型の国立公園というのがぼくらの理想だったけど、土地だけあって、予算と人員が伴ってなけりゃもっと大変だというのを実感したよ。 またここでも平湯温泉のときとおなじように、夏休み中は学生のバイトが何人も寝泊りしてた。このときはすでに結婚してて赤ん坊もいたから随分子守もさせた。 ま、こういう風に三箇所でレンジャーやったんだけど、その頃の単独駐在のレンジャーの上司はいきなり霞ヶ関ということになるから、個々のレンジャーがてづくりで仕事を作っていたような面も多かったな。

―各地の単独駐在のレンジャーを全員どこかの国立公園事務所長の配下におき、所長に許認可の権限を与えた「ブロック・専決制」のことであれば、それは時代の流れで、ぼくのせいじゃない。それにその頃から事務所と住宅の分離、職住分離も進んだから、まあ、たしかに生活という面じゃ楽になった反面、楽しさも減ったかもなあ。そのご国立公園管理事務所そのものも関係機関との調整なんかが便利なように、都会にでる傾向があるよね。そして国立公園の管理だけでなく、国設鳥獣保護区だとか、ワシントン条約関連業務だとか国立公園の外の仕事も増えてきて、いまじゃ地区自然保護事務所と名前も変わった。国立公園管理官も自然保護官と名前が変わっちゃった。

―キミなんか試験に浮かりっこないよ。定められた技術系職種で国家公務員試験のT種かU種に合格し、環境省に採用されなくちゃなれないんだ。

―そう、奇跡といわれたなあ。(ハッとして)ほんとうに失礼な奴だなあ。

(レンジャーと国立公園の将来)

―ぼくらがレンジャーのとき仲間とよく語っていた夢が二つあるんだ。 ひとつはアメリカのような国有の公園専用地からなる国立公園で、ナチュラリストのレンジャーがいっぱいいて許認可などに追われない理想的な「大国立公園」が生まれないかという夢だ。 もうひとつは国立公園のなかだけじゃなくて、広くオールジャパンでの自然保護に関与したいという夢だね。 いま後者の方向は或る程度進んできたみたいだし、こんごもその方向を目指してるんだろうな。でも環境省がどう考えているかわからないけど、前者の目もまったくないわけじゃないとぼくは思ってるんだ。国有林次第だけどね。

―さっきも言ったように林野庁は林業経営でメシを食っている。だから、本省レベルでは公園の指定だとか、林道建設だとかではしばしば鋭く対立してきた。もちろん、現場では公園管理に関してはお互いに協力していることのほうが多かったんだけど。 それが九十年前後から国有林の経営が火の車でどうにもならなくなり本格的なリストラがはじまった。環境庁でもレンジャーとして林野庁現場職員の受け入れを大々的にはじめたりして、だいぶ関係が好転した。だが依然として国有林経営の困難さはかわらない。となると国立公園の中の施業していない国有林なんかは環境省に人もろとも移行ということも考えられないこともないんじゃないかな。 国有林が大半を占めているような国立公園では、将来そうした大国立公園が出現する可能性がゼロではないと思うよ。

―まったくうるさいね、キミは。そんなことばっかり言ってるから、彼女に逃げられるんだ。

(平成十五年七月二十七日)

参考:南九研時報三十五、三十六、三十九号。H教授の環境行政時評第七講(予定、EICネット)