生活排水と水質汚濁―浄化槽法20年
Aくん―センセイ、いよいよ師走ですねえ。今年は3月に大阪で第三回世界水フォーラムが開かれ、10月には瀬戸内法30年ということで、神戸でいろんなイベントが行われましたねえ。いずれも盛況で、水環境への関心が増したんじゃないですか。
H教授―それだけじゃあないさ。去年32号で言った亜鉛の環境基準だけど、中央環境審議会に諮問。専門委員会報告が出されたんだけど、産業界が猛反発し、水環境部会はおおもめに揉めた。
Aくん―へえ、それでどうなったんですか
H教授―結局、産業界もコブシを振り下ろし、原案通り答申され、ようやく告示された。ま、産業界にとっても、環境基準よりも排水基準がどうなるかの方が問題だから、主戦場を排水基準検討の場に移したということだろうね。
Aくん―他には?
H教授―11月に大阪で行われた第23回生態系工学シンポジウムのテーマは「大阪湾の再生」。今年自然再生推進法が成立したせいか、自然再生がキーワードになったみたいだねえ。あと、流域圏に関していうと、着工ずみの淀川水系5ダムをどうするのか、原則中止を提言した流域委員会と現時点ではダム建設は有効とする国土交通省近畿地方整備局、そして地元市町村の話し合いが大詰めを迎えてきた。
(浄化槽法20年)
Aくん―で、今日のテーマは? H教授―瀬戸内海の水質汚濁の原因は産業系排水だけではなく、生活系排水の負荷も大きいということは知ってるよねえ。
Aくん―もちろんですよ。とりわけ大阪湾なんかじゃ、生活雑排水の負荷のほうが大きいんでしょう。
H教授―そうなんだ、そのために下水道や合併処理浄化槽などが整備されてきたんだけど、今年は瀬戸内法30年だけじゃなく、浄化槽法20年でもあるんだ。だから、今日は浄化槽と下水道について話をしよう。 まずは歴史のおさらいをしておこう。 キミのご両親が子供の頃は多分汲み取り便所だったはずだ。大の場合、ボチャンと落ちてはねかえりを防ぐため、お尻をひょいとあげなきゃならなかった。下をみれば蛆虫が蠢いていてね。
Aくん−(顔を顰めて)センセイ、汚い話はやめてください。
H教授−し尿を汚いと思うところからしてそもそも間違っている。欧米ではし尿は汚物として、一日も早く系外に、つまり、河川に放流しようとした。それが下水道の起源だ。 日本ではし尿は貴重な資源として近在の農民が買いにきたんだ。それは高度経済成長のまえまで続いた。ボクもかすかに覚えているよ。畑の片隅にはそのし尿を熟成させる「肥えタゴ」が必ずあった。だから、日本の河川は欧米と比較にならないほどきれいだったんだ。
Aくん−そんなアナクロなこと言ったって・・・
H教授−ところが進駐軍がそれを不衛生だとして嫌い、また、一方では化学肥料が出現して一変。 かくてし尿は資源から汚物になり、市町村がバキュームカーなどで収集し、し尿処理施設で処理したあと河川に放流したり、未処理のまま直接海の沖合いに投棄(海洋投棄)するようになった。いまでもごく一部海洋投棄してるし、瀬戸内海でも昭和40年代の半ばまで、し尿が直接投棄されてた。
Aくん−まっさかあ。そんな不潔な。
H教授−近々禁止になるけどね。ま、いずれにせよ高度経済成長とともに生活の欧米化が進行し、公共施設などではトイレの水洗化がはじまり、それから各家庭でも水洗化のニーズが急激に高まってきた。それを可能にしたのが下水道だったし、マンションなんかでの大型の合併処理浄化槽だったんだ。 いずれも微生物の働きで有機物を分解する、自然界での浄化作用をより効率的にしたものなんだ。
Aくん−合併って何軒もの家庭排水をまとめて処理するからですね。
H教授−ブー。それは集合処理という。 合併というのはし尿と台所排水などの生活雑排水をまとめて処理するものをいうんだ。 こうして昭和三三年に下水道法ができ、大都市部を皮切りに自治体による国の補助を受けての下水道整備が本格化したんだ。
Aくん−でも下水道整備ってオカネと時間がかかりますよね。下水道地域や大型マンションの人はもちろんのこと、それ以外の人たちだって水洗化しているところありますよ。
H教授−そういう人たちのために各家庭用のし尿だけを処理するいわゆる小型単独処理浄化槽がすごい勢いで広まっていったんだ。これが昭和四十年代から五十年代にかけて起こった。 さて一方、昭和三十年代から四十年代にかけて都市周辺の河川や内海内湾での水質汚濁はひどいものとなっていた。そして四十年代半ばにそれへの不満が爆発。これで一気に公害規制が進んだんだ。瀬戸内海はそのトップランナーで、おかげで瀬戸内法が成立した。
Aくん―瀬戸内海では産業系のCODを一気に半減させたり、それ以降総量規制制度ができたりしたんですね。
H教授―そうなんだ、例えば周辺地域で下水道が整備された隅田川なんかは産業排水規制とあいまって、うんときれいになった。でも、大阪湾はじめ瀬戸内海ではコンビナートの前面海域や港湾内だとかは別にして、なお満足する結果になっていない。瀬戸内海以外でも、都市周辺の河川や内海内湾の汚濁はおさまったわけではなかった。
Aくん−つまり生活系の負荷、それもし尿以外の生活雑排水の負荷が無視できないほど大きく、しかも、下水道の整備がそれに追いつかなかったんですね。
H教授−そう、下水道などの生活排水の合併処理は水洗化が主たる目的だったんだけど、この頃から河川などの水質浄化の決め手として認知されたんだ。そして、各家庭用の小型合併処理浄化槽が開発された。 ところが家庭用の小型浄化槽はじめ浄化槽ってのはいずれにしても清掃だとか保守点検だとかのきっちりした維持管理が必要なんだけど、建築基準法で設置時の性能基準が定めてあるだけで、そうしたソフト面の規制がなかったんだ。もちろんマンションなどの大型の浄化槽は水質汚濁防止法で規制されていたけど、小型の家庭用のはフリーパス。 これじゃいけないというんで、関係業界が運動し、議員立法で成立したのが浄化槽法なんだ。昭和五八年に制定され、六〇年に施行された。そして、六二年には各家庭用の小型合併処理浄化槽(以下、小型合併と略)に対する国庫補助制度がはじまった。
Aくん−え? 個人に国から補助したんですか?
H教授−うん、小型合併は単独浄化槽より高くつく。正確に言うとその差額分全額を個人に補助しようとする市町村に対して県と厚生省(現・環境省)が三分の一づつ補助するようにした。 また、それに先立って農村集落などでの農業集落排水処理事業(農排)という集合処理の小型下水道みたいなものの農水省補助事業もはじまっていた。この農排も法的には大型の浄化槽ということになる。
(下水道vs浄化槽)
H教授―つまり昔の役所で言えば建設、厚生、農水三省の競争というか縄張り争いがはじまった。とくに建設と厚生の対抗意識が強かった。
Aくん−当時の環境庁の対応はどうだったんですか。
H教授−ぼくは当時水質規制課にいたんだけど、環境庁の立場では、下水道でも農排でも小型合併でもなんでもいいから早く家庭雑排水の処理をしてくれの一語に尽きた。
Aくん−そりゃ建前はそうでしょうけど…
H教授−建設省に言わせると、小型合併だとか農排は下水道が整備されるまでの「つなぎ」にしかすぎない。21世紀の遅くない時期に下水道の普及率を国民の九割にまで上げると公言していた。いまでもその旗は降ろしていないんじゃないかな。 これに対して厚生省は性能面でも下水道と対等の施設だと主張していた。 一方、建設省は小型合併は維持管理がきちんとできてないことが多いじゃないかと反論してた。
Aくん−そうなんですか?
H教授−うん、それはそうなんだ。浄化槽法では義務付けてあるけど、実効性のある罰則がなく、実際の法定検査率が低いのは事実。
Aくん−じゃ、やっぱり下水道のほうがいいのかなあ。
H教授−確かに都市部では下水道のほうが効率的だよ。でもねえ、田舎みたいなところじゃ、延々と下水管をはりめぐらさなければいけないから、圧倒的にコストが高くつく。 ウルグアイ・ラウンドで公共投資の大幅増を国際公約にしちゃったから、多くの市町村が下水道に飛びついたんだけど、下水道は金食い虫で、それで自治体赤字がぐっと膨らんだという話もある。 それに下流でまとめて処理してから放流するわけだから、その間の河川の水量低下という問題だってある。 個人的見解だけど、現在の普及率はほぼDID(人口集中地区)人口に達したんだから、面的整備よりも高度処理だとか合流式の欠陥是正のほうに転換すべきじゃないかな。特に大阪湾流域などはそうだな。
Aくん−高度処理? 合流式?
H教授−高度処理は富栄養化対策で窒素や燐などを処理すること。また、都市部では雨水排除という機能も持たせるため、雨水も一緒に処理することが多く、これを合流式というんだけど、大雨のときは汚水と一緒になって未処理のままオーバーフローしちゃうんだ。
Aくん−でも小型合併は維持管理の問題があるんでしょう?
H教授−平成6年度から市町村が事業主体になって各家庭に小型合併を設置し、使用料金等を徴収して維持管理も市町村が行うという事業に対する補助制度もスタートした。これがもっともリーズナブルだと思うな。 小型合併の管理者が各家庭だなんて言ったって管理できるわけがなく、清掃業者、保守点検業者任せにしかならないんだから、遅きに失したとさえいえるんじゃないかな。
Aくん−ところでし尿だけを処理する単独浄化槽というのはどうなったんですか。
H教授−うん、これも長い間の懸案だったけど、ようやく平成一二年に浄化槽法が改正され、単独浄化槽は原則禁止となった。いままでの単独浄化槽は「みなし浄化槽」ということで、更新の時期が来るまではそのままということになったけど。
Aくん−ふうん、で、センセイのところはどうなってるんですか。
H教授―(小さく)中古住宅で単独浄化槽だった。 でも市役所に聞いたら、下水本管があと百メートルほどのところまで来ていて、一、二年内に下水道区域になるので、補助制度はないし、二重投資になるのは資源の無駄遣いになるからそのままにしてるんだ。
Aくん−でもまだ下水道区域になってないんですね。
H教授−一体どうなってるんだろう。まったくお役所仕事というやつは。 (急いで話題を変えるように)それからね、下水道は特別会計で独立採算が原則なんだけど、多くの自治体では赤字になっていて、一般会計から赤字補填してることがよくあるんだ。でも、これなんか、恩恵を蒙らない人々の税金と合わせて補填してるんだからおかしいよね。ましてや小型合併で処理している人の税金を使うなんてとんでもないことだ。 それから折角小型合併にしても、何年かして下水道区域になれば下水道への接続義務が生じるんだ。これも二重投資だからやめるべきだよね。
Aくん−(聞いてない)ふうん、センセイのところはまだ単独浄化槽なんだ。この環境の時代に。ふうん。センセイの家からの雑排水は未処理のまま武庫川から瀬戸内海に流れ込んでいるんだ。ふうん。
H教授−(消え入るように)だから、てんぷら油なんかはふき取ってるし、味噌汁だと米のとぎ汁だとかそんな濃厚な排水は裏の庭に撒いてるよ。クルマだって七年間いちども洗車してないよ。 そんな目でみるなよ。だって仕方ないじゃないか。
Aくん−はいはい。で、浄化槽のほうの問題はないんですか。
H教授−いっぱいあるよ。まずは窒素、燐も処理できるような技術開発だよね。それからあとは下水道も共通だけど、水洗では大量に水を使うよね。やっぱり、節水型の水洗便所とそれに対応した浄化槽開発が必要じゃないかな。さらには浄化槽排水や下水道排水の中水としての循環・再利用。 それから汚泥の発生はどうしようもないんだけど、いまはほとんど産業廃棄物として脱水・乾燥したあと焼却処理している。これを有機農業、環境保全型農業とリンクさせて、農地還元するシステムづくりだとか、ローカルな循環型社会を考える際に浄化槽抜きでは考えられないね。
Aくん−ところで浄化槽の主管省庁は厚生省から環境省になりましたよね。建設省、いまの国土交通省だとか農水省との関係はどうなんですか。やっぱり縄張り争いみたいなものがあるんですか?
H教授−知らない。いまは三省の連絡会議みたいなのもあるし、昔のようなことはないと思うけど、浜の真砂とお役所の縄張り争いはなんとやらというから、見えないだけであるのかもしれない。ま、いい意味での競争ならいいんじゃないの。むしろ県内で中央のタテ割りを持ち込まないようにできるかどうかだな。
Aくん−センセイはそういう意味での縄張り争いに巻き込まれたことはなかったんですか?
H教授−昔、ボクも水質規制課時代、よんどころない事情で、汚濁小河川を直接浄化するという補助制度を創設しなければならない羽目にあったことがあったんだけど、これなんてこの三省庁の事業や建設省河川局の事業との隙間事業で競合しかねないものだったね。
Aくん−へえ、面白そう。その話をしてくださいよ。
H教授−もう時間切れだ。また、こんど機会があったらしよう。
Aくん−なあんだ、つまんない。さあ、次回は年明けですね。
H教授−うん、キミも卒論をちゃんと仕上げろよ。じゃ、読者のみなさまもいいお年を。
(平成一五年一一月二五日)
お断り:本稿はEICネット(http://www.eic.or.jp)「H教授の環境行政時評第一一講」(平成一五年一二月)(予定)を短縮し改稿、補筆したものです。