鉱物編 − 鉱物関連駄稿一覧、解題

老徒留/辺酊乱休廃止鉱山への旅

幻か?ウルツ鉱の六角板状結晶 − 静岡県浄連鉱山

やっと待望の浄連鉱山に再チャレンジできることになった。 ここは伊豆半島の無名の(ちゃんと<浄連>という名前があるじゃないかって?もう、うるさいなあ)金山だが、筆者がハワイから戻る直前、ならびに戻ったその日に、W、Kの熟年デユオで爛れた快楽の日々を過ごしたところなのである。 その内容はつぎのようなものである。 すなわちかれらは観光名所「浄連の滝」の近くに、浄連鉱山(桐山鉱山)なる鉱山があることを、先日刊行された「日本金山誌関東・中部編」で知り、ダメモト精神で訪れたのだ。そこで次のような収穫をえたのである。 ひとつは鉱山入り口の道路脇にたまたま転がっていた高品位鉱塊を一ケ発見、そのなかから肉眼的な紅銀鉱や脆銀鉱?の結晶を得たことである。 まあ、これは単なる僥倖だからいいが(それでも口惜しい)、看過できないのはもう一つの方である。 即ち、かれらはそこから山に入ってしばらくのところで、多数の黄鉄鉱鉱石の貯鉱を発見。この鉱石には黄鉄鉱の他、閃亜鉛鉱、方鉛鉱を伴っていたのだが、そのなかで鈍い鉛色の筋状のものを相当量見つけた。鉛色の部分はもっと粗粒の場合もあり、そうしたものは板状結晶の集合をなしていたのである。しかも、まれに明瞭な六角板状結晶(最大5ミリ)を示すものもあった。かれらはその形状から銀鉱物、具体的には脆銀鉱か雑銀鉱を疑ったのだ。 こうした成果を聞かされ、なんでのうのうと過ごせよう。直ちに直談判に及び、4月17日に連れていってもらったのである。そのときの状況はつぎのようなものである。

篠つく雨のなかを出発。かれらが高品位鉱塊を得たという道路脇を過ぎて、山に向かう。黄鉄鉱貯鉱の場所にきたのだが、あせる筆者をからかうように、まずは採掘場所を見て置こうと、さらに上を目指す。 やがて斜面いっぱいに広がるズリがでてきた。低品位の石英がいたるところに散乱しているが、いかにも「銀黒」というようなものは乏しい。こうしたなかから微小な銀鉱物を探し出すような採集は筆者は苦手なのだ。老眼にはきついし、ルーペは雨で曇るしで、すぐ音をあげてしまった。しかし、W氏の執念は凄い、確かになにかの銀鉱物と思われる微小な粒の入った小塊を二ケ発見、筆者はハイエナのごとく、そのお余りをちゃっかりと頂戴する。 ようやく黄鉄鉱貯鉱のところに到着。雨はますます激しくなる。傘もささず、ずぶぬれになって石を叩いてる筆者の横で、熟年の先達達は傘を片手に煙草ぷかぷか、筆者のお手並み拝見となったのである。しかし、ルーペは曇り、まったく役に立たないし、雨のため暗さもひとしおで、確実な六角板状のものはようやく最後近くになって二ケ得られたのみ、待っている二人に悪いので、早々に引き揚げざるをえなかったのだ。

K氏はこの鈍い鉛色の六角板状結晶の同定をAさんに依頼していたのだが、そのご来た結果は不可解なものであった。 第一報はX線回折の結果は銀鉱物に該当するものがなく、本邦では未報告のKuramite[Cu3SnS4]によく似ているというものであった。 喜んだのも束の間で、すぐ第二報が来た。その要旨は「X線回折結果を再度じっくりみてみたが、Kuramiteに必須のピークが一本足りないので、Kuramiteでないことがわかった。そこでそのあとEPMAで定性試験をしたところ、主化学組成はZnSで小量のCu,Fe,Mnを含むことがわかった。ZnSの鉱物なら閃亜鉛鉱かウルツ鉱である。結晶のことはよく判らないが、閃亜鉛鉱とは思えないので、ウルツ鉱ではないか」というものだった。この時点でX線回折のチャートとウルツ鉱なり閃亜鉛鉱のASTMカードを照らし合わせればどちらか判ったと思うのだが、どうやらチャートは保存していなかったらしく、しかもX線回折の装置が折悪しくダウンしたとのこと。K氏は再度サンプルを送付したのだが、その返事はまだない。 これが5月中旬の頃の情報であった。 ウルツ鉱は通常繊維状を示すので、二人とも半信半疑の様子であった。 筆者は日本鉱物誌を繙いたところ、日本でもウルツ鉱の自形結晶の産出記録はあり、それには微小な六角錐を為すとあった。つぎに、念のため「EncycropediaofMinerals」の写真をみてみた。なんと浄連鉱山のものとそっくりの形状のものの写真がでているのを確認。これで一気に三人ともウルツ鉱の六角板状結晶という確信が高まり、再訪することにしたのだ。 銀鉱物よりも本邦新産のKuramiteの方がいい。しかし、聞いたことのない鉱物よりも、おなじみのウルツ鉱の本邦初の六角板状結晶の方がもっと貴重かもしれない。発見者のW氏、K氏は論文が書けるかも知れないし、筆者はうまくいけばコレクター相手に小遣い稼ぎもできるかもしれない。 さて、再訪の結果はつぎのようなものだった。

6月17日午前3時、W氏が迎えにきてくれた。午前4時過ぎ、鎌倉でK氏を拾い、一路浄連鉱山に向かう。幸い、天候もよく、期待に胸はずます。 さっそく、黄鉄鉱貯鉱に向かう。ここで延々6時間、片っ端から鉱石を掘り起こし、割っては、この「六角板状結晶ウルツ鉱?」を探した。 鉛色の筋はいくらでもあったが、これでは仕方がない。板状構造が辛うじてみえる程度の小さな鉛色のものはかなり散在しているが、数センチ大以上に密集したものはほとんどなかった。それに板状構造が明瞭でない場合、閃亜鉛鉱との区別は必ずしも容易でない。一応、ギラッと輝くのは閃亜鉛鉱、鈍い光沢のものが目的のウルツ鉱?ということで採集に励む。しかし、目指した肉眼的な大きさの完全な六角板状結晶はついに幻に終わってしまった。 疲労困憊のあげく、ついにこれ以上の良品の発掘を断念し、また上方のズリに向かう。筆者は期待の大きさと現実の冷酷さの狭間ですっかり意気消沈しており、ここでの採集にはまるで力が入らなかったのだが、W氏とK氏は違う。筆者のようなインテリの弱さを持ち合わさない二人は鵜の目鷹の目で精力的に活動。ついにそれぞれ銀品位の高い鉱石を1ケづつ発見、とくにK氏のものは小なりといえど輝銀鉱などの自形晶が多数ついたもので、ありがたくお裾分けに預かった。

というような再訪結果であったが、こと「ウルツ鉱?」に関して、その夜じっくりと推理してみた。 つまり、

この二つの前提から、問題の鉱物はウルツ鉱と閃亜鉛鉱のX線回折データを比較し、Kuramiteのそれに近いほうに違いないと思いついたのだ。 いま手元にASTMカードはないので、まず三強線データのでている「EncycropediaofMinerals」を引いてみた。ところがKuramiteはそもそもこれに収録されていなかった。きっと最近報告された鉱物なのであろう。 そこで最新のGrossaryをみてみた。これにはKuramiteは1980に報告されたStanniteのグループであるとあった。そこでたぶんKuramiteはStanniteと似たようなX線回折ピークを持っているに違いないと仮定し、Stanniteの三強線と閃亜鉛鉱、ウルツ鉱のそれと比較してみた。 そうするとstanniteのX線回折データはウルツ鉱とはまったく違っており、閃亜鉛鉱によく似ていることが判明した。 となると問題の鉱物は単なる閃亜鉛鉱ということになってしまう。しかし閃亜鉛鉱が六角板状の結晶をするだろうか。 半信半疑でまた「日本鉱物誌」をみてみた。なんと「稀に繰り返し双晶の結果、六角板状結晶をなすことがある」と明記してあり、足尾鉱山に産出するとのことだ。ご丁寧に「足尾鉱山の六角板状のものはかつてウルツ鉱と誤認された」とあった! そうだとするとふつうの閃亜鉛鉱と区別がむつかしいようなものも多数あったのも当然だ。ふつうの閃亜鉛鉱にくらべ光沢が鈍いのも、繰り返し双晶のせいで風化に弱く劣化が早いからと考えられる。 翌日、科学博物館の櫻井コレクション特別展示を見に行った。驚いたことに秩父産の閃亜鉛鉱というのにやはり同様の六角板状結晶が鎮座していたのだ! せっせと二回も訪山、多数採集してきたのだが、筆者のこの推理が正しければ、明瞭な六角板状結晶を示す数点以外は、まったく価値がないものになる。 Aさんからまだ連絡はないが、本邦初のウルツ鉱六角板状結晶という夢はかくてがらがらと崩れさったのであった。 筆者の卓越した推理能力がいまはうとましい。

<完>