鉱物編 − その他雑文一覧、解題

ハワイ通信・III(短報)

―はじめに―

つい先日、新しい年を迎えたと思っていたら(ついに今年は喪中でもないのに、外国駐在という事の異例に鑑み、年賀状はすべて欠礼させていただきました。あらためて新年のご挨拶をさせていただきます)、はや二月も残り少なくなってきました。 一部の読者からは、「ハワイ通信・III」を早くだせというご連絡もございました(どこの世界にも、他人の苦難に満ちた失敗と挫折を肴にして楽しむ悪趣味な人がいるようです。もっともそんな通信を出す方がもっと悪趣味といわれればそれまでですが)。ほんとうはU(「破猥通娠」)以降詳細にご報告したいエピソードがなくはないのですが(例えば「若き日のブルックシールズそっくりの金髪超美少女にナンパされかけた事件」(註1)とか)、残念ながらそんな余裕はなくなってしまいました。 というのも、筆者が勤務している東西センターでは、最低限のノルマとして3月末には論文を提出することが契約上義務付けられています。もちろん英文でです。この「ハワイ通信」シリーズでもって、論文提出に代えさせてくれればいいのですが、やはりそれでは血税の無駄遣いとの謗りを免れないのでしょうか、そんな粋なはからいは無理なようです。 さて、英文でラブレターどころかクリスマスカードすら書けないものが、論文などというだいそれたものが書けるわけないのですが、そこはそれ日本語で書きさえすれば、有能な研究生(枝木さん)が翻訳してくれることになっています。 しかし、日本のことを日本語で書くのならいいのですが、外国のことを書くとなると、たとえ日本語で論文を書くにせよ、外国のことを知らねばなりませんし、そのためには英語の文献を読んだり、読むのが出来なければ聞かねばなりません。ところがなにしろ読み書き会話とみごとに三拍子そろって出来ないものですから、若きウエーテルならぬ<老いた飢えーてる>としては大いに悩んでいるわけです。 鉱物採集に並ぶ趣味である(?)、例のビデオ鑑賞も断念しているほどですから、えんえんと「ハワイ通信」などを書いている余裕はあるわけがありません。 しかし、読者の要望を全く無視するわけにもいきませんので、なんとか書くことにしました。ですが、上記の事情でIIIはI(「布哇痛針」)やIIとはがらりトーンをかえて、U以降の今日に至る状況の節目節目だけを、ごく簡単に記した短報としてお茶を濁させていただきます。

<国環研御一行様来布>

11/28、筆者の親衛隊を自称する♂4♀3の7名が、物好きにも英語で悪戦苦闘中の筆者を冷やかすために、パックツアーでやってきた。数多くの差し入れ(例えば書籍では「ヘアヌード完全カタログ」など)に随喜の涙を流す。12/2の帰国までにはいろんなエピソードがあり、とくにT氏のワイキキ・ストリップ探訪始末などぜひ記録にとどめておきたいのだが、冒頭の事情ですべて割愛せざるをえない。

<英語学校「HELP」の卒業>

二月間、筆者の唯一の息抜きの場であった Hawaiian English Language Program こと、HELPもついに終わった。12/15には卒業式というか Graduation Partyを迎えた。 宿題、宿題で追われたHELPも、その終盤では年齢・立場を越えたいろんなつきあいも生まれ、飲み遊んだりしたのだが(ところが皮肉なことに、その頃から歯痛に襲われ、それを堪えてきたのだが、結局堪えきれず、卒業式の翌日歯医者に飛び込んだ。あわれにも即座に抜歯され、不意の出費100ドル!)、それも卒業式以降はぴたっと止まった。 12/18には女房・次男が来布し監視の目も強まったし、女房が帰国した1/18には筆者も太平洋諸島漫遊の旅にでたし、それから帰って今度は長男とその友人が来布したし、そうこうしているうちに冒頭の論文のことで頭がいっぱいになってしまったのだ。

<ビッグアイランド・ツアー>

12/20-23 、念願のビッグアイランドことハワイ島に、家族を連れ私費出張を敢行した。 ここの国立歴史公園の所長をされているジェリー下田さんにすべてオンブにダッコの旅であった。詳細は「わが<研究>の記録」(後出)参照。 なお、鉱物マニアとしてはここの名産オリビン(かんらん石)をなんとか採集したかったのだが、情報皆無ではいかんともしがたく、宿のまわりの捨て石から2、3ミリのものを採集したのみ。

<阪神大震災勃発>

1/16 午後(日本時間17日早朝)に第一報が入った。筆者はもともと関西人だし、瀬戸内室長時代に神戸界隈の企業や自治体の環境関係の人たちとアメリカ視察に行き、毎年神戸で同窓会をやったりして(その一人は地震数日まえに手紙を貰ったばかりだった)、いまも友人・知人がたくさんいる。刻一刻大きくなる災害規模、通じぬ電話に不安がいやますなか、太平洋諸島に飛び立ったのだ。 何人かの友人は無事だったものの、家屋は被災し転居したとの知らせをのちに受けた。 神戸は懐かしい思い出の地だ。一日も早い復興を祈る。

<太平洋諸島漫遊>

1/18朝、女房が帰国。その日の夕刻、サイパン、ロタ、グアム、パラオ十日間の旅に出発した。ニッカム博士と枝木さんのトリオツアーだ。珊瑚礁研究の権威であるわが東西センターのマラゴス博士がすべてセットしてくださったのだ。 素晴らしい自然公園や保護地域protected area などの景観の数々をこの目でみて感激!の連続、また大量の資料も入手してきた。詳細は「わが<研究>の記録」(後出)参照。 しかしながら、そのとりまとめをどうするかを考えるとそれだけで毎日髪の毛が白さが増してくる。

<「わが<研究>の記録 -Document of My Research- 」>

最終論文のことは先送りにしてその日暮らしをしてきたのだが、2月に入ると、さすがに安閑としていられなくなった。かといって、白紙で机のまえに座っていても一向に論文のアイデアは浮かんでこない。 そこで、まずは分析だとか比較考察だとかいった、研究の「成果」ではなく、なにを研究しようとして(そしてなにに躓き)なにをしてきたか(そしてなにができなかったか)、なにがわかったか(そしてなにがわからなかったか)という「記録」を書いてみることにした。 そうしているうちになにかアイデアでも浮かんでくるかもしれないし、それに雑誌「国立公園」にもなにか書くようにいわれているから、ひょっとしたらそれに使えるかもしれない…ということで、2/1から遮二無二書きすすめた。 2/4には長男が友人を連れて遊びに来て姦しいなかではあるが、日夜ワープロのキーを叩きつづける。 インタビュー結果など、わからないところも勝手な想像でどんどん書き、それもできない部分はブランクにしたまま先に書き進め、あとで枝木さんやジェリー下田さんにチエックしてもらおう、と割り切って虫喰い状態の未定稿ながら三十枚を2月中旬、長男帰国の前日に書き上げた。 それが「わが研究の記録 -Document of My Research- 」と題したもので、いわば「ハワイ通信・研究版」のようなものである(註2)。それを、ニッカム博士、枝木さん、下田さんなどに渡し加筆添削を依頼したのである(2/18には、さっそく下田さんが拙宅に来られ、この未定稿をていねいに添削してくださった)。 さて、それで論文のアイデアは浮かんだかーというと、じつはまったく浮かんでこないのである。

―さいごに―

こんごの予定ですが、3月にはカウアイ島へ自然公園美化管理財団の研修団が行くことになっており、それに同行することとなっていますが、それ以外は、金髪美女とつきあうことも断念し(つきあっていたわけでありません。念のため)、ひたすら最後のとりまとめに没頭することになるでしょう。 もっとも2箇所ばかりこちらでも貧弱ながら鉱物産地を発見したので、これだけは再訪したいと思っています。 3/17には三度女房がやってきて、撤収準備開始。 3/31、無事論文ーというか小学生の夏休みの自由課題のようなものーを書き上げて日本に錦を飾る。 というのがだいたいの予定です。 それでは4月に日本でお会いしましょう。 すったもんだがありましたが、酒はうまくてネーチャンはきれいで、ハワイは素晴らしいところです。アロハ!

ところで最大の問題。筆者に帰るところがあるのでしょうか!?

註1:この見出しだけでは読者諸兄がイライラするだろうから、ネタをばらしておく。某宗教団体の勧誘というか祈伏だったのだ。
註2:国環研の青山企画官には送付ずみなので、ご興味のおありの方はどうぞご覧になっていただきたい。