新・新 ランドク・ツンドク 1
休眠中だったランドク・ツンドクですが、本格的な新緑の候の到来とともに再開することにしました。とはいっても、挨拶状の宛名書きやゴールデンウイーク採集記等いろいろすることがあり、今回はごく短くおさめようと思います。
大学には立派な図書館があるのですが、じつは使い方がよくわかりません。一応開架式の部分があるのですが、そこにはアカデミックな本ばかりです。他にもたくさんの蔵書が本部にあり取り寄せ可能なのですが、パソコンによる検索システムなので、ぼくには未だ恐ろしくてトライできないのです。
4月21日、三田市の唯一の図書館に行って来ました。私鉄で一駅なのですが、ちょっとママチャリでは無理ですので、交通費がかかります。一人4冊しか借りられず、子どもたちの名義も借りられませんので、費用対効果に問題があります。そこで借りてきた本その他についてごく短い感想を述べるにとどめたいと思います。
「社会主義とはなんだったのか」(塩川伸明、1994)は筆者とほぼ同世代の著者による、未練を残しつつも社会主義へのレクイエムを奏でたもの。共感できる点が多く、さっそくつぎのゼミでヒョウセツ(「ワード」では漢字変換できない)させてもらった。あからさまな社会主義(理念的なそれを含めて)への嘲笑に対しては嫌悪感を催すが、こういう姿勢は好きだ。 星4つ。
「日本新党とはなんだったのか」(松崎哲久、1995)は雲散霧消した日本新党の創設にかかわりのちに<殿>の逆鱗に触れ除名された著者の内部告発。殿の性向や生態がわかり、おもしろかった。星4つ。
「どこが超能力やねん」(ゆうむ はじめ、1992)はTVでしばしばとりあげられる超能力をすべてトリックだとして告発しているもの。この種の物理的な超能力は否定するが、いわゆる霊能者の<過去を読む>等の心理的な超能力は肯定しているのがおもしろい。ニュートリノ等の物理的作用で将来は説明可能になるとマジメに信じているらしい。星二つ。
「常温核融合スキャンダル」(カーリートーブス、1993)は綿密に常温核融合騒動をフォローしたもので、相当の大部。科学者・研究者の内幕がわかっておもしろい。これによると常温核融合なるものは完全な幻、妄想らしい。星三つ。
「進化論裁判」(エルドリッジ、1991)と「新・進化論」(オークローズ、マタシチュー、1992)は同じ訳者によるもの。前者は断続平衡説の提唱者で反ダーウイン論者としてしばしばとりあげられる著者によるいわゆる科学的創造論者に対してのダーウイン擁護論でおおむね理解できる。星三つ。ひどいのは後者である。これは「量子論的進化観」であり、「傾聴に値する」という訳者の巻末解説にひかれて読んだのだが、ひどいものだった。99パーセントまでダーウイン進化論に対する昔ながらの誹謗中傷をさまざまな諸論文の我田引水的な引用により繰り返しているだけである。量子宇宙論の一部では「人間原理」という人間のために宇宙が生成発展したという寝言をいう論者がいるようだが、その進化論バージョンである。進化の科学的説明としては、使われていないといわれる「ガラクタDNA」がひたすら来るべき飛躍のためにプログラムを組んでいるというだけのもの。機が熟したとき瞬時に進化が起こるというもので、断続平衡説のカリカチュアもいいところ(断続平衡説は地質学的な瞬時ー数千、数万年ーにダーウインメカニズムにより新種が登場するというもので瞬時というのはあくまで比喩である)。そして生命の誕生とヒトの誕生はそれでも説明がつかず、背後に<神>の存在があるという。これではゴールドスミスのHopeful Monster説の方がまだましだ。訳者はもう少しまじめに解説してほしい。星一つ。
「宇宙生命科学」(河崎行繁、1993)は水・蛋白質・核酸という地球型・炭素型生命だけでなく、それから類推しての生命一般とその可能性を論じたもの。SF的で、甚だ興味深い。一度珪素生命とかアンモニア・炭水化物生命とか気体生命をみてみたい。もしそうしたものが存在するとして具体的な形態・生態を論じて欲しかったが、これはないものねだりか。星5つ。
「マンガ界のウラの裏がわかる本」(蕪木某、1991)はどうってことはない。星二つ。
小説は3冊しか読んでいない。藤沢周平の文庫本二冊(「長門守の陰謀」「闇の歯車」)と佐野洋の「動詞の考察」(1994)。前者はゴールデンウイーク採集行の行き帰りにキオスクで買って読んだもの。達者なものである。ふたつとも星三つ。後者はwife が借りてきたものをひまつぶしに読んだ。特筆事項なし。星二つ。