鉱物編 − その他雑文一覧、解題

三ヶ月後の補遺 ― '96.8.28

前報からあっという間に日が流れ、そのまま長い夏休みに突入しました。だが状況は基本的に変わらないまま、居心地がいいのだか悪いのだかよく分からない大学人生活を送っています。

ゼミの学生こそだいぶ顔と名前を覚えましたが、コンパひとつするわけでないのでなかなか学生たちに溶け込むことはできません。同僚の教師連中も事務の連中とも親しく話する機会は一向にないままです。同僚に至っては未だに月一回の教授会で顔を合わすだけで顔も名前も知らないのがごろごろいます。大体学校に来ないのです。ぼくは一応夏休みに入っても学校に2/3程度は行っていますが、同僚はほとんど顔を見せません。

学内禁酒、大学のまわりにただの一件も飲み屋も喫茶店もないというのは、やはり問題でないかと思います。学生たちのほとんどは新三田までバスで行き、そこからJRで帰るのですが、この新三田駅のまわりはうどん屋が一軒あるだけで、あとは畑ばかりという状況ですから学生も可哀想といえば可哀想です。

夏休み、昼からでも大体学校に行くようにしているのは、クーラーが利いて涼しく、静謐なプライバシーが守れるからでして、研究とか勉強しに行っているわけではありません。わが家はノークーラーだし、毎日女房と顔をつきあわせるよりもこちらの方が落ち着くのです。そしてこういう静謐な毎日にそれなりに適応するようになってしまいました。

苦手のパソコンですが、なんとかWINDOUS VER.3.1と新しいワープロソフト(MS-WORD)を打てるようになりました。WIN/YATによるニュース購読とE-MAILの応答も初歩的なものはできるようになりました。だれかつきっきりで教えてくれるのがいれば三日でこの程度はできるようになるのでしょうが、マニュアル本だけで試行錯誤するといかにたいへんかおわかりと思ういます。わが家にもパソコンがないと不便なので(いままでのは壊れました)買おうと思いました。新品を買うには予算不足なので、中古を買いに大阪日本橋まで走りましたが、悲しいことに店員に聞いてもビットがどうとかこうとかその言っていることがまるで理解できないのです。一度は断念。改めて友人にハードの容量がどうとかこうとか電話で聞いて、再度挑戦。それでもわからず、そこから友人に電話してようやくノートパソコンを買いました。それを友人宅に持っていって、いろんなソフトを入れてもらい、プリンタにもつないでもらいようやく使えるようになりました。こちらのワープロソフトはなつかしの一太郎VER.5です。したがって苦節半年、いろんなソフトは入っているものの使えるのは一太郎、WARDとWIN/YATだけというていたらくです。W.W.Wとかホームページとやらに親しみたいと思っているのですが、そのための環境整備をどうすればいいのかわかりませんし、図書室でくれた図書検索ソフトも入れてみたものの、一向にうまく動いてくれず、これからも苦難の日々が続きそうです。

ところで前報以降訃報が相次ぎました。5月にはホリバの大浦前会長と兄がなくなりました。大浦氏は水質規制課長時代からのつきあいで、こちらに来たとき氏の依頼でロータリークラブで話をすることになったのですが、それを待たずに逝去。その話を終えた日にこんどは兄の容態が悪化、一週間後になくなりました。関西に来たからこれからは月に一度くらいは兄と飲めることを楽しみにしていたのですが、引越当日に入院、そのまま帰らぬ人になってしまいました。先月には中学・高校時代の親友がやはりこの世を去りました。ぼくの壮行会を三月にしてくれたばかりというのに…

6月と7月に二度上京しました。いちどはつくばで、OB会発足というので、これからお世話になる関係上かけつけました。運良くミネラルフェアがその翌日開催されたので、一石二鳥でした。これは「学会出張」ということで処理。もういちどはレンジャーOB会。恒例の新人歓迎会ということで会費は免除なのですが、東京往復は自腹。もっともついでにたまたま開かれていたミネラルマーケットにも顔を出してきましたので、転んでもただでは起きないというところでしょうか。

7月は定期試験の監督に狩り出されました。カンニングだとか代理出席などできようわけもないほど厳重なもので驚きました。自然環境論だとか総合政策入門とかの試験問題は難解で、ぼくにはとうてい合格点をもらえる解答などできそうにないものでした。

それが終わって鹿児島に飛びました。もちろん自腹です。ぼくは来年、廃棄物の講義を持たねばなりませんし、来月末には浄化槽講習会の講師をやることになっていますが、じつは両方ともまったくのド素人。そこでそれに詳しい昔の県庁時代の仲間に特訓を受けにいったのです。もちろんついでに鉱物採集も楽しみましたし、本命は昔なじみと天文館飲み歩きだったのですが。

8月、三田市民大学という市主催の市民講座で講演。いわば初デビューです。その一週間まえ聞いた内藤先生の話などをちゃっかり拝借してなんとか1時間半を凌ぎました。

また、環境庁がいいだした地球環境研究戦略機構とかなんとかいうものの誘致のための検討会に兵庫県から引っぱり出されました。事務局役は得意だったのですが、委員ははじめてで、なにをどういうタイミングでいうかは結構むつかしいということを悟りました。それにしてもこの戦略機構、大風呂敷過ぎて、どこまで本気かとまどっています。

さらに、瀬戸内海環境保全協会で毎年出している「瀬戸内海の環境−資料−」の改訂を手伝ってくれという話もきて、これからそれをやろうかと思っているところです。

一番参っているのは、ハワイ時代の税金の処理です。連邦は免税のはずだのに請求がくるし、州には払ったのに手違いか郵便事故か知らないがまだ請求がくるのです。それがすべて英語。英語で電話のやりとりができるほどの能力はないから、辞書を繰りつつ手紙の往復でほんとうに疲れます。


というようなわけで、一応は元気にやっていますのでご休心ください。草々。